2020年11月28日土曜日

聖書に親しむウェブページ、いくつか。

 インターネット時代になって、聖書に親しみやすい便利で分かりやすいウェブページも増えてきました。ここでは専門的なものではなく、あくまで聖書について基本的なことを確かめ、理解するのに助けとなるものを、動画を中心にいくつか紹介します。


1.聖書を紹介する動画


聖書プロジェクト BibleProject - Japanese

聖書66巻の各書の全体像を、図表や絵を活用して明快に見せてくれる。

OneHopeJapan

子ども向けの聖書のストーリーのアニメと、大人向けの本格的な新約聖書・福音書の物語のドラマ(セリフなどは意訳した聖書テキストのみという禁欲的なつくり)が視聴できる。

BibleCore バイブルコア

神学の専門家によるやさしい聖書各書の紹介。伊藤明生先生やランダル・ショート先生など私の前職の東京基督教大学の教員たちも登場する。

Superbook - Japanese - Full Episodes

聖書アニメシリーズ「スーパーブック」のエピソード1の全13話分(各話30分弱)が視聴できる。


2.読んだり聞いたりする聖書

パソコン版 聴くドラマ聖書

聖書・新改訳2017のドラマ朗読版。テキスト及び音読がある。

聖書 新共同訳

日本聖書協会の新改訳聖書。テキスト及び音読版がある。

リビングバイブル

聖書をわかりやすく意訳している。テキスト及び音読版がある。

2020年4月8日水曜日

フィリピン語専攻のための「おうちでフィリピン語・フィリピン研究」2:卒論準備

作成していたリンク集の分量が思ったより多くなってきたので、卒論準備に関する部分を別にします。

第1部はこちら。
フィリピン語専攻のための「おうちでフィリピン語・フィリピン研究」

***

卒論等の準備に役立つ資料・論文など

1.卒業論文の書き方

アカデミック・ライティング(大阪大学全学教育推進機構)
レポートや論文の書き方のイロハを学べます。阪大生が入学の際に受け取っている『阪大生のためのアカデミック・ライティング入門』最新版へのリンクもあります。

阪大図書館 るくぱすシリーズから(リンク先はPDFファイル)
分野別レポート入門 文化・社会編
卒業論文にとりかかる - 大阪大学附属図書館
レポート・論文のための 引用の技術 - 大阪大学附属図書館
参考文献の書き方
「パスファインダー」全体のリンク集:ここから絞り込んでみることもできる)
図書館で配布されている調査・研究・執筆の仕方をアドバイスするパンフレットです。
資料の調べ方ガイドからも入れます。

卒業論文の書き方
明治大学文学部の卒業論文のガイド。特に人文科学分野の卒業論文がどのような目的、性質のもので、どういう仕方で作られていけばよいのか、ということが丁寧に書かれている。

卒業論文の書き方・卒業研究作成の仕方
PDFファイル。立命館大学の卒業論文執筆ガイド。13ページに及ぶ充実した内容。

2.卒業論文の資料収集のためのウェブサイト

CiNii Article
J-Stage
日本の雑誌論文等の検索サイト。オンラインでPDF等で入手可能な論文へのリンクもある。また雑誌を所蔵している大学図書館も分かる。

大阪大学図書館
新型コロナウィルスで図書館いけないじゃん! ここに載ってても意味ない、と怒るなかれ。実はこのウェブページはオンラインでもいろいろ役に立つのです。
1)OPAC検索によって、どんな本が大学にあるか事前に調べることはできる。
2)資料の調べ方ガイドは調査の仕方のヒントもある。
3)「さがす」には阪大関連のオンライン資料検索へのリンクがある。
4)IDがあれば、電子ジャーナル、電子ブックにアクセスできる。少ないと思うかもしれないが、例えばPhilippinesで検索すると、意外にヒット数が多くて驚くのでは。
大阪大学図書館はこの状況の中で、「新型コロナウイルスへの対応:無償でアクセスできるデータベース・電子ジャーナル・電子ブック」というリンク集を公表しています。

国立国会図書館デジタルコレクション
著作権上公開に問題のない膨大な量の文献をデジタル化して公開している。フィリピン関連では日本におけるフィリピン理解や過去の日本―フィリピン関係に関する資料が多く所蔵されている。

Google Scholar
Googleの研究成果関連の検索エンジン。広く浅く拾う感じなので、これ一つで一発で検索終了、とはいかないが、色々見つけられる。

Philippines - Academia
研究者が参加し、著作権者として手持ちの論文等を共有し、メールなどでやり取りもできる一種の研究者SNS的なもの。上記Google Scholarなどで入手できないものがあったりもする。但し掲載はすべて参加研究者の意思次第であり、またダウンロードするためにはログインのための登録(無料)が必要となる。

U.P. Diliman Journals Online
フィリピン大学で出版されている多くの学術誌がオンラインで読める。

Ateneo de Manila Journals
フィリピンの名門私立大学アテネオ・デ・マニラ大学の研究誌のポータル。

Digital Collection - University of Santo Tomas Miguel de Benavides Library and Archives
サント=トマス大学附属図書館のウェブサイトにあるデジタルコレクション。歴史資料、大学出版の学術誌、アーカイブの三つからなる膨大な資料群が閲覧できる。

Philippine Studies Archive: 1953-2008
上記アテネオ・デ・マニラ大学によるフィリピン地域研究の重要な雑誌であるPhilippine Studiesの論考が収められている。創刊号から1953-2008年分までは無料で閲覧、ダウンロードできる(それ以降は有料)。
Philippine Studies Archive: 2011-
新型コロナウィルス感染拡大に対応し、Project Museに収められているPhilippine Studiesの有料部分が一時的に無料閲覧、ダウンロードが可能となっている。

Filipinas Heritage Library Online Library
アヤラ博物館付属図書館のオンライン・ライブラリー。古い資料が多いが、一部新しいものもある。

アジア経済研究所-フィリピン関連情報・資料
アジア経済研究所のウェブサイトにはアジア・アフリカに関する日本語・英語の豊富な資料・研究がある。このリンクはそれらの資料のうち「フィリピン」で絞り込んだもの。ウェブサイトにGoogleのウェブサイト内検索もあるので、それも活用できる。

『アジア動向年報』2018-
『アジア動向年報』2007-
『アジア動向年報』バックナンバー
アジア経済研究所による、アジア各国についての毎年の動向分析報告と重要日誌が収められている『アジア動向年報』はこちらで読める。

アジア動向年報重要日誌検索:フィリピン
アジア経済研究所発行の「アジア動向年報」の日誌部分について、1960年代から現在までのデータを検索できる。

3.調査統計資料

Phlippine Statistics Authority
政府のフィリピン統計局のウェブページ。国勢調査や政府諸機関の調査報告が掲載されている。

Social Weather Stations
比較的定評のある世論調査・意識調査機関のウェブページで、調査報告が豊富に置かれている。

Pulse Asia
より新しく設立された世論調査機関のウェブページ。

2020年4月7日火曜日

フィリピン語専攻のための「おうちでフィリピン語・フィリピン研究」

在宅でげんなりな私含めた皆さんの気晴らしの一つとして、オンラインでこんなのもあります、というリストをちょっと作ろうかな、と思っています。少しずつ作業して膨らませていきます。

1.フィリピン語自体の勉強に
東外大言語モジュール フィリピノ語
 フィリピン語の初歩を、音声付きで自学できる優れもの。東京外大すごい。阪大ピノ語も頑張らなきゃ…
東外大言語モジュール フィリピン英語
 そして更なる衝撃。タガログが自在に混じるフィリピン英語の教材が、まさか東京大外(神田外国語大学との共同プロジェクトとのこと)からでるとは。フィリピン語の入門にもいい、かな…?
 フィリピン英語と言えば、フィリピン系カナダ人のコメディアンがやや大げさ気味のフィリピン風英語で、しかし自分たちの民族への愛情たっぷりにノリノリで(悪ノリ気味に?)伝えるこちらも見ていて単純に楽しいし、しかもフィリピン語の発音やフィリピン文化の理解の手がかりにもなる。Mikey Bustos Filipino Tutorials

Learn Filipino with FilipinoPod101.com
オンラインのフィリピン語の語学学校のYouTubeプロモーションビデオだが、無料でここまで提供してビジネスは成り立つのだろうか? と思うほど大量の英語によるレッスンが収められている。2年生以上の学生にとっても復習などにもよさそう。日本語でのフィリピン語入門、中級のクラスや自習を組み合わせれば、この無料の部分だけでもかなりいいレッスンになりそう。

山下美知子/リース・カセル/高野邦夫 著【音声ダウンロード】『大学のフィリピノ語 』
東京外国語大学のフィリピン語テキストの音声教材がダウンロードできる。もちろん本来は市販の教材と組み合わせて用いるべきものではあるが、音声だけでも、特に3,4年生にとっては良い勉強になるのではないかと思う。

Tagalog English Dictionary
発音があり、例文も豊富な優れたウェブ辞書。

タガログ語の小辞書
 オンラインの辞書の中では割と信頼できる。やや量が少ないのと、英語の資料に基づいた直訳風の部分が時々見られるといったこともあるが、そのもとの英訳自体もついている。とにかく結構使える。またタガログ以外のフィリピン諸語も出てくるのが興味深い。

SIL International
世界中の言語に聖書翻訳を行うことから始まった、少数言語の一大研究機関。フィリピン諸言語を含めて多くの情報があるが、特にたとえばLanguage & Culture Archivesフィリピンに関する研究調査データは1000を超え、タガログ語のみならず、多くの言語のデータがある。タガログ語についての記事も50を超える。

Komisyon sa Wikang Filipino
政府のフィリピン国語委員会。国語政策についてみることができる。


2.フィリピンのニュース
a. 動画
Rappler Newscast
 平日の夕に更新される5分ほどの英語のニュースダイジェスト。しかも映像に英語の字幕がつくので分かりやすく、英語の勉強にもなる。
 ちなみにRapplerには多彩なオンライン動画(ニュース、ドキュメンタリー、レポート、ショー(特にバンドのライブ)など)がある。Rappler Videos

GMA News
ABS-CBN News
主要テレビ局の公式YouTubeサイト。関連サイトまで広げればドラマやバラエティなどに広がっていき、色々楽しめる動画が満載。

b. 大手新聞3紙(英字紙)
卒論のためのニュースの検索も、特にこの3紙が重要
Inquirer.net
Philippine Daily Inquirer紙。研究、教育の世界と近く、学術研究ではよく参照される。政府に批判的な傾向がやや強い。
ラジオ局もあり、YouTubeで放送した番組が聴ける。INQUIRER 990 TELEVISION
Philstar.com
Philippine Star紙。簡潔明瞭な記事。特に社説は論点が(単純化されているきらいも時にあるが)分かりやすく、今話題の出来事をとりあえずつかむのに便利。難しい英語はちょっと、という人には、Inquirerよりもとっつきやすいのでは。
Manila Bulletin
行事や政府の発表などがやや淡々と描かれた新聞。伝統のある新聞。

c. その他
CNN Philippines
テレビ局による英語のニュースサイト。

Radio.org.ph
フィリピンの多くのラジオが聴けるポータル。
但し、ラジオ局のホームページやFacebookページで聞くほうがちゃんと聞ける場合も少なくない。例えば
DZBB Live Streaming
Super Radyo DZBB 594khz

702 DZAS - FEBC Radio
プロテスタント系のラジオ局の公式Facebookだが、フィリピン語学習との関係では、この放送局が放送した番組ごとに情報をストックしているところが使いやすく、ライブで流れて終わってしまったり、短いニュースだけ、というのではなく、特定の番組全体をオンデマンドで拾って聴けるのが便利。
特に一日のニュースを30分程度にまとめたBagong Araw(朝)やHudyat Balita(夜)のふたつのニュース番組は、ビデオのためニュースのタイトルの字幕が出ること、弾丸トークが多い一般のラジオのニュースサイトに比べるとゆっくりはっきり読むことなど、外国人学習者にとって優しく便利でもある。この二つの番組の場合は、キリスト教については最後に聖書からちょっと引用する程度で、基本的に一般ニュースに徹したつくりとなっている。そのあたりは、ニュース番組もほぼ教会関係のみ、というカトリック・マニラ大司教区のVeritas846.phと対照的ともいえる。

Basagan ng trip
デ・ラ・サール大学の気鋭の若手歴史学者にして優れた教育者でもあるイケメン先生レロイ・クラウディオが軽快かつシャープに贈る、今のフィリピンについての講義。時々ゲストを迎え入れて、多彩なトピックで送る。英語の要点が板書のように浮かび上がり、アカデミックだがちょっと早口で畳みかける鮮やかなタグリッシュ・トークは、まるで人気教員の授業の一端に触れているかのよう。内容も練られていて、明瞭かつ時に痛快。そして彼のリベラルな教育者、研究者としての良心と、青年への挑戦、フィリピンがいい国になってほしいから真実を、という情熱も伝わってくる。教員のウェブ講義がつまらん、と思ったら、こっちで憂さを晴らせるかも。

3.フィリピンのドキュメンタリー
I-Witness (Full episodes)
フィリピンのテレビ局GMA7のドキュメンタリーシリーズ。30分程度の番組がふんだんに紹介されており、最近のものは放送後数日で公開されてきている。日本も含めたフィリピン外のドキュメンタリーもあるが、大半はフィリピン国内についてである。英語の字幕がついたものも多くはないが40以上集められている。
I-Witness (with English Subtitles)

4.Original Pilipino Music (OPM)、フィリピン・ポップス(P-Pop)
とりあえず以前作ったリストを掲載する。
OPM (Original Pilipino Music) sites

5.博物館
Ayala Museum Online Resources
Ayala Museum (YouTube)
アヤラ博物館の展示物や美術品を見ることができる。

Exhibitions: National Art Gallery, National Museum of the Philippines
フィリピン博物館・美術館の展示内容が写真付きで詳細に紹介されている。右上の「○360」というところを押すと、美術館の3Dのバーチャル映像が見られる。

6.フィリピンのキリスト教
Bible.com(Filipino)
フィリピン語の聖書が無料で読める。このリンクで開けるとまずはMagandang Balita Bibliaの2005年改訂版が読める。左上のタグで聖書内の旧約聖書39(カトリックとプロテスタントの共同翻訳ではあるが、このウェブサイトではカトリックの第2正典(プロテスタントでは正典外の「外典」とされる)は収められていない)、新約聖書27の書物からの選択、右上のタブでバージョンや言語の選択ができる。このサイトのMagandang Balita Bibliaの情報には、出版元であるフィリピン聖書協会(Philippine Bible Society)の翻訳のうち、ここに掲載されている複数の言語による17種類もの翻訳が挙げられている。

ちなみに日本語訳も複数あり、長年広く親しまれてきた新共同訳聖書も読める。ほかに、数多くの英語の翻訳をはじめ、1000を超える多くの言語の2000を超える多くのバージョンが収められている。またアプリをダウンロードして読むことができる。

音声が収められているものもあり、フィリピン語だとフィリピン聖書協会訳ではなくアメリカのBiblicaが出版しているAng Salita ng Diyosのうち新約聖書の部分に、朗読音声が収められている。日本語では新共同訳聖書のすべての書の音声が聞ける。

同種のウェブサイトとしてより老舗のBiblegatewayがある。こちらはブラウザ閲覧のみのようである。

フィリピン聖書協会の新しい試みとして”Heterogeneous Language"としてのTaglish(タガログ語と英語を行き来することば)による新約聖書の翻訳New Testament Pinoy Versionがある。YouTubeに分かりやすいプロモーションビデオが収められている。

JesComTV
フィリピンのイエズス会のメディア部門の公式YouTubeウェブサイト。マニラ大司教タグレ枢機卿も定期的に登場する、一日数分のキリスト教的なちょっといい話を、要点の字幕と共に収めたKape't Pandasal(すでに1000話を超えている)や、割とほんわりゆったり癒し系の讃美歌などが視聴できる。フィリピンのカトリック、イエズス会、そしてフィリピン語になじむことができる。

Papuri! - FEBC PH
アメリカから導入され、英語が主流であったフィリピンのプロテスタント教会の中でも1970年代にナショナリズムが起こった。フィリピン国内のOPM(Original Pilipino Music)の活性化と連動した新しいポップスのコンサートのような礼拝・讃美歌の運動の中で、Papuri!シリーズが生み出され、ミュージックシーンに一定のインパクトをもたらした。この公式YouTubeではその最新シリーズのプロモーションのコンサートの様子が歌詞字幕付きで収められており、Yeng Constantinoのような一般に第一線で活躍しているアーチストも参加している。


7.番外編:フィリピンだけでなく、東南アジアも。
CSEAS 動画プロジェクト
京都大学東南アジア地域研究研究所(CSEAS)の東南アジアでの調査を紹介する動画プロジェクト。日本語で5-10分くらいの周到に編集された動画が、みるものを現地調査の魅力へと誘う。まだフィリピンの動画はないが、魅力的な動画集に違いない。

卒論関連は
フィリピン語専攻のための「おうちでフィリピン語・フィリピン研究」2:卒論準備
に移しました。

2017年2月20日月曜日

マーラー交響曲のリンク

Gustav Mahler: Symphony No. 1 (Lucerne Festival Orchestra, Abbado)
Mahler: 1. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Andrés Orozco-Estrada
G. Mahler: Symphony n. 1 "Titan" - Lorin Maazel - Sinfónica de Galicia

Gustav Mahler: Symphony No. 2 "Resurrection" (Lucerne Festival Orchestra, Claudio Abbado)
Mahler -- Symphony No. 2 'Auferstehung' Royal Concertgebouw Orchestra - Mariss Jansons

Mahler: 3. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Andrés Orozco-Estrada
Mahler: Symphony nº 3 - Ewa Podles - Dima Slobodeniouk - Sinfónica de Galicia
Gustav Mahler: Sinfonie Nr. 3 d-moll - WDR Sinfonieorchester Köln | Jukka-Pekka Saraste
[1/4] Mahler: Symphonie Nr.3 / WDR Symphony Orchestra Cologne - Kölner Philharmonie
[2/4] Mahler: Symphonie Nr.3
[3/4] Mahler: Symphonie Nr.3
[4/4] Mahler: Symphonie Nr.3
Gustav Mahler / Symphony No. 3 / François-Xavier Roth / Gürzenich-Orchester Köln
Mahler's Third Symphony | Singapore Symphony Orchestra, Lan Shui

マーラー:交響曲第4番 バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル
Mahler: 4. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Mojca Erdmann ∙ Andrés Orozco-Estrada
Mahler - Symphony No. 4 (Claudio Abbado & Gustav Mahler Youth Orchestra)
Teodor Currentzis | Gustav Mahler: Sinfonie Nr. 4 | SWR Symphonieorchester

Mahler Symphony No. 5 / Donald Runnicles - Chicago Symphony Orchestra
Mahler: 5. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Andrés Orozco-Estrada
Gustav Mahler - Sinfonie Nr. 5 cis-moll | WDR Sinfonieorchester Köln - Jukka-Pekka Saraste

Mahler: Symphony nº 6 - Dima Slobodeniouk - Sinfónica de Galicia
David Zinman | Gustav Mahler: Sinfonie Nr. 6 a-Moll (Tragische) | SWR Symphonieorchester
[1/4] Mahler: Symphonie Nr.6 / WDR Symphony Orchestra Cologne - Kölner Philharmonie
[2/4] Mahler: Symphonie Nr.6
[3/4] Mahler: Symphonie Nr.6
[4/4] Mahler: Symphonie Nr.6
Mahler: 6. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Andrés Orozco-Estrada
Gustav Mahler - Sinfonie Nr. 6 a-moll | WDR Sinfonieorchester Köln - Jukka-Pekka Saraste
MAHLER Symphony No. 6 "Tragic" | Singapore Symphony Orchestra conducted by Eliahu Inbal

Gustav Mahler: Symphony No. 7 "Lied der Nacht" (Lucerne Festival Orchestra, Claudio Abbado)
Mahler - Symphony No. 7 - Pierre Boulez RCO
Mahler: Symphony No. 7 - Radio Philharmonic Orchestra led by Edo de Waart
MAHLER Symphony No.7 | Singapore Symphony Orchestra conducted by Lan Shui
マーラー:交響曲第7番 ホ短調 「夜の歌」バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル

MAHLER | Symphony no. 8 | Netherlands Philharmonic Orchestra | Marc Albrecht | Concertgebouw

Gustav Mahler: Symphony No. 9 (Gustav Mahler Jugendorchester, Claudio Abbado)
Mahler: Symfonie nr. 9 - Radio Filharmonisch Orkest / Markus Stenz

Mahler/Cooke - Symfonie nr. 10 Rotterdams Philharmonisch Orkest o.l.v. Yannick Nézet-Séguin
Mahler compl Cooke Symphony No 10 (Mvt 1: Adagio) – Sir Simon Rattle/London Symphony Orchestra

Gustav Mahler - Das Lied von der Erde - WDR Sinfonieorchester Köln / Semyon Bychkov
Mahler: Das Lied von der Erde / Peter Oundjian · Toronto Symphony Orchestra

Mahler’s Totenfeier - Luisi / Royal Concertgebouw Orchestra
Mahler: Totenfeier ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Eliahu Inbal

Mahler: Rückert-Lieder ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Anna Larsson ∙ Antonello Manacorda

2016年12月24日土曜日

J.S. バッハ作品のリンク

バッハの作品は膨大なのですが、ぼちぼち増やしていきたいと思います。

バッハの作品あれこれ
クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~ J.S.バッハ
著作権切れ音源を掲載したサイトの中のバッハのセクション

ピティナピアノ曲事典 バッハ
ピティナ(PTNA、一般社団法人全日本ピアノ指導者協会)の楽曲紹介のサイト。鍵盤楽器を中心にPTNAの関連演奏家による楽曲演奏を、YouTubeで紹介する。

ALL OF BACH
オランダ・バッハ協会の演奏紹介サイト。タイトルから想像される、バッハ作品すべての紹介ではないが、それでもかなり幅広い音源が紹介されている。

おやすみバッハ ~心地よい眠りのための、バッハメドレー~
Naxos JapanのYouTubeサイトから。バッハってどんな感じだっけ?という方に、バッハの音楽のうち、穏やか系のものをあれこれ取りまとめた55分。


宗教音楽

・カンタータ
Bach Cantate BWV 4 & BWV 80 - Gesualdo Consort - Musica Amphion
J.S. Bach: Meine Seel erhebt den Herren, BWV 10 (Ton Koopmann, Amsterdam Baroque Orchestra & Choir)
J.S. Bach: Cantata BWV 22 'Jesus nahm zu sich die Zwölfe',La Divina Armonia o.l.v. Lorenzo Ghielmi Collegium Vocale der Salzburger Bachgesellschaft o.l.v. Albert Hartinger
Cantata no. 51 "Jauchzet Gott in allen Landen!" Labadie/NewYorkPhil
Cantate Nimm von uns, Herr, du treuer Gott - BWV 101 Musica Amphion & Gesualdo Consort Amsterdam
Cantate Herr, deine Augen sehen nach dem Glauben - BWV 102 Musica Amphion & Gesualdo Consort Amsterdam
Cantate Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit (Actus Tragicus) BWV 106, Musica Amphion en Gesualdo Consort Amsterdam
J.S. Bach: Cantate Schau, lieber Gott, wie meine Feind - BWV 153, Musica Amphion & Gesualdo Consort Amsterdam
J.S. Bach: Cantata BWV 159 'Seht wir geh'n hinauf gen Jerusalem', La Divina Armonia o.l.v. Lorenzo Ghielmi Collegium Vocale der Salzburger Bachgesellschaft o.l.v. Albert Hartinger

Bach, Johann Sebastian: Kantaten

・世俗カンタータ(宗教音楽ではないですね (*^^*))
通称「結婚カンタータ」


・モテト
Helmuth Rilling dirigiert Bach-Motetten (1990)
0:31 Fürchte dich nicht (BWV 228)
11:10 Komm, Jesu, komm (BWV 229)
20:00 Der Gerechte kommt um
25:00 Ich lasse dich nicht, du segnest mich denn (BWV Anh. 159)
30:53 Der Geist hilft unser Schwachheit auf (BWV 226)
39:45 O Jesu Christ, meins Lebens Licht (BWV 118)
46:33 Jesu, meine Freude (BWV 227)
1:06:25 Singet dem Herrn ein neues Lied (BWV 225)
1:20:08 Jachzet dem Herrn, alle Welt (BWV Anh. 160)
1:29:04 Lobet den Herrn, alle Heiden (BWV 230)

J.S. Bach: Motet BWV 225 'Singet dem Herrn' - Vocalconsort Berlin
J.S. Bach: Motet BWV 226 'Der Geist hilft...' - Vocalconsort Berlin
J.S. Bach: Motet BWV 227 'Jesu, meine Freude' - Vocalconsort Berlin
J.S. Bach: Motet BWV 229 'Komm, Jesu, komm' - Vocalconsort Berlin

Bach: Motet Fürchte dich nicht - BWV 228 Musica Amphion & Gesualdo Consort Amsterdam


・ミサ曲ロ短調
Mass in B minor, BWV 232 Gilbert/NYP
Johann Sebastian Bach: Mis in b-klein, "Hohe Messe" BWV 232 Capella Amsterdam en Il Gardellino o.l.v. Daniel Reuss
J. S. Bach: Mass in B minor / RIAS Kammerchor, Akademie fur Alte Musik Berlin, René Jacobs (conductor)

・マニフィカト
J.S. Bach: Magnificat in E flat major, BWV 243a (Ton Koopmann, Amsterdam Baroque Orchestra)

・受難曲
Bach: Matthäus Passion, BWV 244 - Ton Koopman - Coro y Orquesta Sinfónica de Galicia
コープマンがスペインの進境著しいオーケストラを振った全曲演奏が聴けます。
Passio Domini Nostri J.C. secundum Matthaeum BWV 244 - Nederlandse Bachvereniging, Kampen Boys Choir / Jos van Veldhoven
小編成で、極めて精度の高い素晴らしい演奏。スタイルとしっくりあった宗教的で凛としたドラマ性が見事。

La Petite Bande - J.S. Bach - Johannes Passion BWV 245
ラ・プティット・バンドのYouTube公式サイトにありました。画像と音質が下げてあり(モノラル?)、そこがちょっと惜しい。もっといい音で聴きたければCDを買ってください、というのはとても理解できるのですが…でも十分鑑賞できます。
J.S. Bach: Johannes Passion BWV 245 - Steven Cleobury / Choir of King's College
レコード会社Brilliant ClassicsのYouTube公式サイトにおそらくプロモーション用に載せられたもの。

・クリスマス・オラトリオ
J.S. Bach: Christmas Oratorio BWV 248, part 1/2 John Eliot Gardiner / Monteverdi Choir
J.S. Bach: Christmas Oratorio BWV 248, part 2/2 John Eliot Gardiner / Monteverdi Choir
ガーディナーの演奏が全曲聴けます。
J.S. Bach: Christmas Oratorio - Weihnachts-Oratorium (Full Album) - Martin Framig / Dresdner Kreutzchor & Philharmonie

Bach: Weihnachtsoratorium BWV 248 - Combattimento Consort Amsterdam / Jan Willem de Vriend
通常使われる"Jauchzet, frohlocket, auf preiset die Tage"で始まるものと異なる、"Tönet ihr Pauken, erschallet Trompeten"で始まる版による演奏にちょっとびっくり。


オルガン
james kibbie - bach organ works
オルガニストが公開している自身のバッハのオルガン作品全曲演奏のサイト。ダウンロードもできるようになっている。

バッハ:オルガン作品全集(旧全集)(Org)ヘルムート・ヴァルヒャ:1947年~1952年録音

J.S. Bach - Toccata & Fugue in d-minor, BWV 565


鍵盤楽器

バッハ:イギリス組曲全集(チェンバロ) BWV806-811 ラルフ・カークパトリック 1956年5月25日-6月9日録音
バッハ:フランス組曲全集(チェンバロ) BWV812-817 ラルフ・カークパトリック 1957年5月6日~12日録音
バッハ:パルティータ組曲全集(チェンバロ) BWV825-830 ラルフ・カークパトリック 1959年9月17日-19日録音

J.S. Bach: French Suites BWV 812-817, Suites 818-819 : Yuan Sheng (piano)
J.S. Bach: Complete Partitas BWV 825-830: Yuan Sheng (piano)

J.S. Bach: French Suites BWV 812-819, Pieter-Jan Belder (harpsichord)
J.S. Bach: 7 Toccatas BWV 910-916, Pieter-Jan Belder (harpsichord)
J.S. Bach: Goldberg Variations BWV 988, Pieter-Jan Belder

ギター/リュート
Ana Vidovic plays Prelude BWV 998 by J. S. Bach
Ana Vidovic plays Fugue BWV 998 by J. S. Bach
Ana Vidovic plays Allegro BWV 998 by J. S. Bach

J.S.Bach: Four Lute Suites. Paul Vondiziano, Guitar
Lute Suite #1 (BWV 996) (15:40): Prelude, Allemande, Courante, Sarabande, Bourree, Gigue.
Lute Suite #2 (BWV 997) (22:38): Prelude, Fugue, Sarabande, Gigue, Double.
Lute Suite #3 (BWV 995) (20:58): Prelude, Allemande, Courante, Sarabande, Gavotte-Gavotte en Rondeau, Gigue.
Lute Suite #4 (BWV 1006a) (16:14): Prelude, Loure, Gavotte en Rondeau, Menuet I-Menuet II, Bourree, Gigue.
J. S. Bach Lute Suite No 4 in E major, BWV 1006a George Svoboda

J.S. Bach: Sonatas and Partitas for Classical Guitar BWV 1001-6

チェロ組曲
J.S. Bach: 6 Suites for Cello Solo, BWV1007-1012 (Full Album) played by István Várdai
J.S. Bach Cello Suites: Jaap ter Linden
無伴奏チェロ組曲全集 (Vc)ヤーノシュ・シュタルケル 1963年~1965年録音
バッハ:無伴奏チェロ組曲・・・(Vc)フルニエ 1960年12月録音
バッハ:無伴奏チェロ組曲・・・(Vc)トルトゥリエ 1960年録音

Cello Suites 1 and 2 Carter Brey(vc)


ヴィオラ・ダ・ガンバ ソナタ
Bach: Sonatas for Viola da Gamba and Keybord BWV 1027 - 1029 (Full Album) Montero & Boccaccio

フルートソナタ
J.S. Bach: Fluitsonate BWV 1030 - Musica ad Rhenum
J.S. Bach: Fluitsonate BWV 1033 - Musica ad Rhenum
J.S. Bach: Fluitsonate BWV 1035 - Musica ad Rhenum

協奏曲全集
J.S. Bach: Complete Concertos Vol. 1
J.S. Bach: Complete Concertos Vol. 2
曲目の詳細はそれぞれのリンク先にあります。

ヴァイオリン協奏曲
Anne Akiko Meyers Bach Concerto No.1 A minor BWV 1041
Anne Akiko Meyers Bach Concerto No.2 in E Major BWV 1042
Anne Akiko Meyers Bach Double-Performs Both Parts
J.S. Bach: Violin Concertos: Thomas Zehetmair (violin), Amsterdam Bach Soloists

Violin Concerto nos. 1, 2, Orchestral Suites nos. 3, 4 - Labadie, Faust (vn)

Concerto in C minor for Oboe, Violin, and Strings: Gilbert/NYP, Batiashvili, Leleux

ブランデンブルク協奏曲
Bach: Brandenburg Concertos BWV 1046-1051 (Freiburger Barockorchester)
J.S. Bach: Brandenburg Concertos (Full Album) Musica Amphion
Bach: Brandenburg Concertos (Orchestra Mozart, Claudio Abbado)
Bach - Brandenburg Concertos 1, 2 and 3- Consort Of London - Robert Haydon
Bach - Brandenburg Concertos 4, 5 and 6 - Consort Of London - Robert Haydon

Bach: Brandenburgs Concert no.3 - Ton Koopman
J.S. Bach: Brandenburgs Concert 2-5 - Hofkapelle München

ハープシコード(チェンバロ)協奏曲

バッハ:ハープシコード協奏曲第1番 ニ短調 BWV1052 カークパトリック(チェンバロ) バウムガルトナー指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団 1958年9月〜23日録音
バッハ:ハープシコード協奏曲第2番 ホ長調 BWV1053 カークパトリック(チェンバロ) バウムガルトナー指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団 1958年9月〜23日録音

Bach - Harpsichord Concerto no.3 in D major, BWV 1054 - Croatian Baroque Ensemble Croatian Baroque Ensemble

J. S. Bach. Harpsichord Concerto in f minor. BWV 1056 (I) (Allegro) / Ímpetus Madrid Baroque Ensemble - Yago Mahugo
J. S. Bach. Harpsichord Concerto in f minor. BWV 1056 (II y III) (Larghetto & Allegro) / Ímpetus Madrid Baroque Ensemble - Yago Mahugo

オーボエ協奏曲

J.S. Bach: Oboenkonzert d-Moll (BWV 1059)∙ hr-Sinfonieorchester ∙ François Leleux ∙ Andrés Orozco-Estrada


管弦楽組曲
Bach - Orchestral Suites No.1 to No.4 - Consort Of London - Robert Haydon Clark

Bach - Orchestral Suite no.1 in C Major, BWV 1066 - Ensemble Barrocade
J. S. Bach - Orchestral Suite No. 2 BWV 1067 / Orkiestra Historyczna
Bach - Orchestral Suite No 4 in D major BWV 1069 - Croatian Baroque Ensemble


いろいろ
Baroque Christmas Concert (Barbara Bonney, Matthias Goerne, Freiburger Barockorchester)
0:13 J.S. Bach: Concerto in D-Major, BWV 972, Allegro
2:20 J.S. Bach: "Wachet auf, ihr Adern und ihr Glieder", Cantata "Unser Mund sei voll des Lachens", BWV 110
6:21 J.S. Bach: "Nun seid Ihr wohl gerochen", Christmas Oratorio, BWV 248
9:32 W.A. Mozart: "Et incarnatus est", Mass in C-minor, KV 427
17:36 J.S. Bach: Christmas Oratorio, BWV 248, Sinfonia
23:13 J.S. Bach: "Ehre sei Dir, Gott gesungen", Christmas Oratorio, BWV 248
27:33 J.S. Bach: Christmas Oratorio, "Herr dein Mitleid, dein Erbarmen"
35:05 Je me suis levé
37:50 In dulci Jubilo
42:30 J.S. Bach: "Großer Herr, o starker König", Christmas Oratorio, BWV 248,
47:24 G.F. Händel: "He shall feed his flock", Messiah
53:50 J.S. Bach: Air, Suite in D-Major, BVW 1068

2016年7月15日金曜日

Bruckner's Symphonies and other Works Online



Anton Bruckner: Sinfonie Nr. 6 | NDR - Günter Wand
Bruckner: 6. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Christoph Eschenbach
Bruckner Symphony no. 6 Eschenbach NYPO
Bruckner: Sinfonia nº 6 - Dennis Russell Davies - Sinfonica de Galicia
Blomstedt dirigiert Haydn (nr. 104) und Bruckner (nr. 6) | NDR
Nagano | Bruckner: Sinfonie Nr. 6 A-Dur | SWR Symphonieorchester
Georg Tintner / Symphony No. 6 / Bohuslav Martinu Philharmonic
Anton Bruckner - Symphony No. 8 in C minor (Pierre Boulez; Vienna Philharmonic Orchestra)
Sir Simon Rattle conducts the Australian World Orchestra, Bruckner Symphony No. 8 2015
Bruckner: Symphony nº 8 - Leif Segerstam - Sinfónica de Galicia
BRUCKNER: Symphony No. 8 in C minor (1890 NOWAK 2nd ver.) Singapore Symphony Orchestra | Lan Shui
Bruckner: Symphony No.8 in C minor, WAB108 (Nowak: 1890 version) / Eliahu INBAL / Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 カール・シューリヒト指揮 ウィーンフィル 1963年12月9~12日録音
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 クナッパーツブッシュ指揮 ミュンヘンフィル 1963年1月録音
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 ヨッフム指揮 ベルリンフィル 1964年1月録音

2016年6月11日土曜日

OPM (Original Pilipino Music) sites

I may list some links for my own sake, or maybe for some others...


(From the website)
We are the number one independent record label in the Philippines. Home of the best Original Pilipino Music (OPM) artists, our roster includes Gary Valenciano, Regine Velasquez, Ogie Alcasid, Noel Cabangon, Christian Bautista, Gloc-9, Sam Concepcion, Parokya ni Edgar, Sponge Cola, Kamikazee, Calalily, and more.  Subscribe to our channel for exclusive videos including official music videos, lyric videos, album previews and album launch invitations!

PolyEast Records (YouTube)

(From the website)
...PolyEast Records is one of the top record companies in the Philippines. Headed by veterans in the music business, PolyEast's artists include top recording artists such as Martin Nievera, Bamboo, ZsaZsa Padilla, Kyla, Karylle, Zia Quizon, Sandwich, TJ Monterde, Joyce Pring, Josh Espinosa and Muriel. Subscribe to this channel to get first dibs on your favorite artists' music video teasers, official music videos, and album launch invitations.

Viva Records

(From the website)
Subscribe and watch Pinoy music at its best: Official music videos, live performances, exclusive interviews and behind-the-scenes footage not seen anywhere else and more! Get your daily dose of everything popular and Pinoy. Lean back. Relax. Click. Enjoy!

RadioRepublicPH

(From the website)
...Everyday, Radio Republic uploads new videos of Filipino artists in many different forms. From interviews, to band performances, to behind the scenes, as well as shots taken from various musical events.   We give fans a front-row seat AND a backstage pass to the nation's best talents: from discovering up-and-coming acts to experiencing seasoned artists, if it’s Filipino, we’re there! We are a vibrant team of music & media professionals, formed to infuse the spirit of Music, the energy of Live Performances, and Filipino Lifestyles, into a Powerful Online Digital Media Platform.

ABS-CBN Starmusic

(From the website)
Star Records, Inc. leads the pack among record labels that produce music from the Philippines and distribute original Pilipino music worldwide.  Star Records, Inc., an ABS-CBN Entertainment Group company, leads the pack among record labels that produce music from the Philippines and distribute original Pilipino music worldwide. Our record as a leader in music from the Philippines has been phenomenal, including chartbusters from artists like Gary Valenciano, Erik Santos, Vina Morales, Sheryn Regis, Sandara Park, Lito Camo, Ai-Ai Delas Alas, Gloc-9, Yeng Constantino, and many more. Our current roster of original Pilipino music available on CDs at retail stores worldwide as well as fast digital downloads on iTunes, Amazon, and starrecords.ph, among many others, includes Toni Gonzaga, Piolo Pascual, Sam Milby, Miles, Juris, and more. Star

Ivory Music & Video

(From the Website)
Welcome to the channel of Ivory Music & Video, the exclusive licensee of Sony Music in the Philippines. Ivory Music is one of the biggest independent record companies in the Philippines and has been an active force in the industry for 3 decades. Ivory takes pride in having premiere local recording artists in its catalogue which includes: Asin, The Company, Pilita Corrales, Freddie Aguilar, Sampaguita, Florante, April Boy Regino, Orient Pearl, Wolfgang, Suy, Paolo Santos, Roselle Nava, Manilyn Reynes, and Thor among others. Ivory’s roster also includes the top acoustic recording group – MYMP, which achieved multi-platinum status. Current additions are Maja Salvador, Iza Calzado, Silent Sanctuary, Abra, JM De Guzman, Luke Mejares, Moonstar88, Jason Fernandez, Moira Dela Torre, Maxine Tiongson, Paullete, Gravity (from The Voice Kids PH) Ryan Christopher & more. Thank you for your continued support, enjoy the music.

Wish 107.5

(From the Website)
Wish 107.5 is an all-hits FM radio station in the Philippines. When it first hit the airwaves in August 2014, it promised to grant your fervent wish of making your radio more than a typical music-box-on-air.

Wish 107.5 unveiled the first and the only Mobile Radio Booth in the Philippines, now known as the WISH 107.5 Bus. Equipped with state-of-the-art broadcast facilities, it took the traditional radio experience beyond the four-walled booth as it brought music right where most of the listening public are -- streets, roads, and parks.

With the capabilities it offers, the Wish 107.5 Bus is on the right track in leaving an indelible mark in the music scene. The desire to bring this concept to more audience fuels the station to continue embarking on a journey that would forever change the course of music and radio broadcast history of the Philippines and the World, transforming itself from being a local FM station to becoming a sought-after WISHclusive gateway to the world.

Gary V TV
Famous Christian Singer's Official YouTube site.

2015年7月30日木曜日

(脱線)無料で聴けるクラシック音楽の公式サイト集(随時更新)

最近有料でクラシック音楽を聴くサイトとの契約を終えた。

それでもクラシック音楽を聴きたい私は、もう既に、ウェブ上には広報を兼ねた無料の音源がいろいろ公開されていることに気づいていたので、仕事の合間などに息抜きに音楽を聴くならそういうところを活用しようと改めて思っている。

で、忘れないようにリストを作っておこうと思った。クラシック音楽が好きな人は少数派だとしても、そういう人のお役にたてれば、というのもある。

特におすすめのサイトに*をつけておく。

1.解説のついたクラシック入門、勉強にもなりそうなサイト。

クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~
著作権切れの音源についてはこちら。少々癖のある管理人さんが、豊富な音源を丁寧に吟味しつつ惜しみなく注ぎ込んできたが、最近は健康を害されたとのことで更新が中断されている。名盤の名高いものも多く、1950年代後半の音源からはステレオ期に入り、音の良いものもたくさんある。1967年までの録音が著作権フリーになっているとのこと。

Classic Manager
著作切れの音源を公開している英語のサイト。韓国人の運営しているウェブサイトと記されている。上のサイトと比べると録音についての情報等が少なく、また通常の分野や演奏家によるカテゴリー分けなどがされていないので見づらさはある。最近登録が必要になり、使い勝手が悪くなった印象。しかも有料コンテンツもあるというので、ビジネスでやり始めたことがよく分かる。奇妙なことだが、上記Blue Skyのような管理人の個性と趣味が強く反映され、その長年の活動の履歴が読めるようになっているウェブサイトの方が、このサイトのような客観的な装いのウェブサイトよりも信用できるように感じられる。それはおそらく、著作権者ではない人が、期限が切れたとはいえ他人の著作物をどう利用するのかのスタイルの問題かと思う。趣味で作ったアーカイブを趣味故に惜しげもなく公開しているBlue Sky Labelのyungさんには、底知れないお人よしさの奥に誠意と善意を感じるから信頼できるのかもしれない。このウェブサイトに同様のことを感じることはあり得ない。サービスと割り切り、便利さとバランスを重視して、ちょっとの個人情報と引き換えにこちらに登録し利用するかどうか。

東京アカデミーオーケストラ 〜指揮者のいない室内オーケストラ
慶応オケ、早稲田オケの卒業生を中心とした、指揮者を置かないアマチュア・オーケストラ。プロほどの精度はない(とはいえアマチュアとしてはかなりのレベルでは)代わりに、その独特の集中力と、仕事でない故か時に発揮される強烈なノリに驚かさせられる。過去の演奏会記録から、高音質の音源がたくさん聞ける。

PTNA(全日本ピアノ指導者協会)によるピアノ音楽のウェブ事典で、YouTubeのPTNA公式サイトのものを中心に極めて幅広く多くの作品の音源が紹介されている。ピアノソロの曲だけでなく、ピアノ協奏曲、室内楽など、ピアノにかかわる様々な作品が取り上げられている。その音源はPTNAの公開録音やコンクールのものが多く、世界的に名の知れた演奏家の音源も含まれている。


2.オーケストラの公式サイト

CSO SOUNDS & STORIES
シカゴ交響楽団の公式の音源サイト。期間限定だが豊富な音源から聴ける。

New York Philharmonic: Watch & Listen
ニューヨーク・フィルの公式の音源サイト。こちらも豊富な音源から聴ける。

San Francisco Symphony Stream Concerts
サンフランシスコ交響楽団の音源サイト。直接聞ける音源は少ないが、専用のラジオ局からのストリーミングもこのページからきける。どちらも音質はとても良い。

Detroit Symphony Orchestra
デトロイト交響楽団の公式YouTubeサイト。
DSO Replay
同じくデトロイト交響楽団の公式動画サイト。

hr-Sinfonieorchester – Frankfurt Radio Symphony
フランクフルト放送交響楽団の公式YouTubeサイト。豊富で長時間の精度の高い演奏が聴ける。

NDR Elbphilharmonie Orchester
北ドイツ放送エルプフィルハーモニー交響楽団(北ドイツ放送交響楽団として知られてきたが、最近改称)のYouTube公式サイト。ダイジェストが多いが、全曲演奏もかなりある。

SinfonicadeGalicia
ガリシア交響楽団ということになるか。公式YouTubeサイト。セーゲルスタム、スクロヴァチェフスキー、マゼール、ユロフスキ、ポリーニ父子(息子さんが指揮者なのですね)などの錚々たる指揮者による演奏が並び、いくつか聞く限り充実の演奏を聞かせているので、日本であまり知られていないにせよ一定の水準の団体と言っていいと思う。

Royal Concertgebouw Orchestra
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の公式YouTubeサイト。主にダイジェストだが、それでもかなり聞きごたえがあり、またいくつかの長い作品の全曲演奏もある。

London Symphony Orchestra

GSOplay
スウェーデンのエーテボリ交響楽団の公式動画サイト。シベリウス演奏などで名高いが、それ以外でも非常に精度の高い優れた演奏を聴かせる。

RSPOplay
やはりスウェーデンのロイヤル・ストックホルム・フィルの公式動画サイト。こちらもきわめて精度の高い音楽が聴ける。

WDR SinfonieorchesterFreunde
ケルン西ドイツ放送交響楽団・友の会の公式YouYubeサイト。この「友の会」Freundeが長大な作品の全曲演奏をいくつも紹介しているのが面白い。

Guerzenich-orchester Koeln
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の公式YouTubeサイト。

Deutsche Radio Philharmonie
ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の公式YouTubeサイト。

Symfonieorkest Vlaanderen
フランダース交響楽団ということになるか。公式YouTubeサイト。よく存じ上げないが、聞く限り十分な実力を感じさせる。

Filharmonia Narodowa
ワルシャワ・フィルの公式YouTubeサイト。

洗足学園音楽大学 SENZOKU Video
音大のYouTubeサイトですが、想像以上に高水準な演奏が聴かれます。オーケストラは大御所である秋山和慶さんの指揮による充実した演奏に驚かされたりします。


3.ソリストなどの公式サイト

Henryk Wieniawski
ヴィエニャフスキー・ヴァイオリン国際コンクールの公式YouTube。コンクールでの演奏が中心。

Chopin Institute
ショパンコンクール主催者の公式サイト。コンクールの音源が豊富に紹介されており、コンクールの際にライブ配信も行っている。

Jukka-Pekka Saraste
フィンランド出身の世界的指揮者ユッカ=ペッカ・サラステの公式YouTubeサイト。これほど著名な指揮者個人のサイトでこれだけ聴けようにしてあるのは興味深い。

Nathalie Stutzmann
コントラルト歌手として知られ、近年は指揮活動を展開しているシュトゥッツマンの公式YouTubeサイト。

András Vass
ハンガリーの指揮者の公式YouTubeサイト。200年もの伝統を持つハンガリーのパノン・フィルというオーケストラの指揮者のようで、高名な指揮者イヴァン・フィッシャーの推薦する指揮者とのこと。指揮者もオーケストラも名前を知らなかったが、演奏を聴く限りかなり高水準と感じる。

Anne Akiko Meyers
ヴァイオリニスト、アン・アキコ・マイヤーズさんの公式YouTube。

Luiz Fernando Perez
ピアニスト、ルイス・フェルナンド・ペレスの公式YouTube。アルベニス、グラナドス、ファリャなどスペインの音楽(だけではない)がいろいろ聞ける。

ValentinaLisitsa
YouTubeでの活動が話題になり、メジャーデビューを果たしたというクラシックとしてはやや異色というか新しいタイプのアーチスト。ただ、ピアニストとして正規の教育を受け、コンクール入賞なども果たしてきたという。

小瀧 俊治 オフィシャルウェブサイト
若手ピアニストのみずみずしい演奏が聴ける。

Ysaye Quartet
イザイ弦楽四重奏団のYouTubeサイト。過去にテレビ放送された音源を用いているようだが、きれいな音で見事な演奏が聴ける。

SoundProfessional Boston
クラシック音楽専門の録音技師の方がサンプル(にしてはかなり多い…)を紹介しているサイト。若手演奏家によるピアノ曲、室内楽、声楽などの小編成の演奏がかなり豊富におさめられている。

SiccasGuitars
ドイツのギター商のYouTubeサイトで、ギターの演奏がたくさんある。


4.放送局・レコード会社のサイト

AVROTROS Klassiek
オランダの放送局の公式YouTubeサイト。映像がついて、オーケストラだけでなく、室内楽、独奏など、多くのジャンルの音楽がアップされている。

EuroArtsChannel
DVDなどを扱うEuroArtsの公式YouTubeサイト。この手のサイトとしては驚くほどたくさんの動画が全曲アップされている。特に故クラウディオ・アバドの指揮する演奏動画が豊富にある。

BBC Sounds - Classical
BBCで放送されたクラシック番組が聞ける。

NPO Radio 4 Videoarchief
オランダの放送局による動画の配信。オランダ放送フィルの音源などが高画質、高音質で視聴できる。
Luister Concerten
同放送局のコンサート音源。アップされている期間が短いが、更新も多く、高音質で新しい演奏をふんだんに聴ける。

BR-Klassik Concert
バイエルン放送のコンサート動画配信サイト。NPO Radio 4と同様に高画質、高音質なのに驚かさせられる。

*SWR Classic
南西ドイツ放送のクラシック音楽動画配信サイト。映像、音ともとてもきれい。

ARTE Classical
フランスの放送局のクラシック音楽動画配信サイト。

99.5 WCRB Classic
アメリカはボストンの放送局のクラシックページ。ボストン交響楽団などの音源を配信している。

*Symphony Cast
American Public Mediaによる管弦楽団のクラシック音楽コンサート音源の配信。通常各コンサートは二部に分けてある。様々の一流オーケストラの演奏が聴ける。

OTTAVA
クラシック音楽のさわりを軽やかなDJと共に送る「気軽にクラシック」なウェブラジオ局。

Collins Classics
このレーベルで過去出された130ものアルバムの音源が、インターネット上で公式に公開されていたのに気づいて絶句。YouTubeサイトはこちら。
Collins Classics

Brilliant Classics
メジャーレーベルの古い音源を格安でまとめて販売することで知られてきたレーベルだが、同時に最新のオリジナルの録音をコンスタントに出し続けてきた。この会社が、自社のオリジナルの録音をふんだんにYouTube公式サイトで公開している。上記のCollinsに並ぶ衝撃の大盤振る舞い。
そのBrilliantが宣伝を出しているので、同系統と思われるのがこちら。
Piano Classics

Naxos Japan (YouTube)
有料で音源配信しているNaxosによる、YouTubeによる無料音源の配信。短い曲や、長い曲の一部がいろいろ聞ける。

France musique
ラジオ・フランスの音楽動画サイト。かなりたくさんの動画がアップされている。
YouTubeのサイトもある。
France Musique

クラシック・ラジオ
インターネット上のクラシック音楽を放送するラジオ局のリンク集。非常に多く、私もまだほとんどチェックしていない。

5.特定の作曲家の作品などのサイト

All of Bach
オランダのバッハ協会による、バッハ演奏の紹介サイト。惜しげもない動画の紹介にただただ驚く。YouTubeサイトはこちらで、こちらの方が見やすいかもしれない。
Netherlands Bach Society

Handel and Haydn Society
ヘンデル・ハイドン協会の公式YouTubeサイト。

Anton Bruckner: Download of the Month
アメリカ・ブルックナー協会のホームページ。ブルックナー作品のディスコグラフィを掲載したサイトだが、そこに毎月ダウンロードできる音源が追加されている。

(気が向いたときに随時追加します)

2015年7月26日日曜日

再挑戦の機会を与えられる身体

いつもの日本聖書協会の愛読こよみから。まずはテキストを写しておこう。

2015年7月26日(日) キリストを模範として

「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。食物は腹のため、腹は食物のためにあるが、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。

神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。

あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。「二人は一体となる」と言われています。しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。

みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。

知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。

(コリントの信徒への手紙一 6:12-20)

***

いろいろなことが言われているけれども、ひとつのこと、「からだ」の意味を考えた。

キリスト教では、身体の自然な発露、つまり、思うまま、望むままを、そのまま良しとはしない。むしろ、体を媒介として愚劣な行為へと転がり落ちていきかねない存在であることが大前提になっている。ここのみだら云々、娼婦云々は、そうしたことを反映している。

しかしそれは、性的なもの、身体的なものがそもそも何となくけがらわしいということではなく、まして身体的なものがそれ自体として悪であるというような、キリスト教思想自体がかつて古代ギリシャの思想の影響の中で陥ったような考え方ではない。むしろ逆であって、身体こそ、人間の内と外を分けるものであることが明示されているというのが興味深い。「人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです」というとき、むしろ身体はその人の「うち」の問題であり、性関係がその人自身を、交わる相手と深いところで結びつけてしまうから、だから間違った結び付け方をしてはいけない、かりそめの相手に気軽に身を預けてはいけない、という警告がある。

パウロはキリストを信じる者たちは自由なんだ、ということを伝えてきた。しかし、この手紙の受取人であるコリント教会の人々の多くは、それを「だから別に好きなように生きていいんじゃね?」と取ったようだ。ところが、パウロは「好きなように生きる」ことは決して「自由」ということではない、と考えた。自分の人生を振り返り、あるいは他人の生き方を見て、すぐに気付くことではないか。好き放題に生きている人間がどんなに何かに取りつかれ、縛られているかを。それを何となく知っているから、たいていの人はある程度自制して生きる。また本当にのびやかで自由な生き方をしている人々は、たいていしっかりした目標や理想をもって、そこに向けてある種の自分への厳しさを持っている。どうやら、身体というものは、正しい方向付けと関係性の中でこそ、本領を発揮でき、それが自由というものであるようだ。そこに至らないと、常に好きなように生きているようであって、よどんだ生き方になってしまう。

パウロはしかし、いわば理だけで話を終えていない。彼は行動する神がこの世界でもたらしたという奇跡を語る。それは「復活」である。キリストは復活させられた、私たちも彼に結ばれていれば復活する。

この箇所の警告はどうやら実際にこの手紙の送り先であるコリントの教会ではリアルだったようだ。実際にもう失敗をしてしまった人々がいるということだ。それはこの手紙のほかの箇所でも示されている。極端なケースとして父親の後妻(つまり義母)とデキてしまう、というところまで書かれている。だからこそ、この箇所は意味があるように思える。これらの言葉はただ宗教的なきれいさ、きらびやかさとして、現実離れに書かれているのではない。そういう無残な失敗に向かって、もう一度やり直せる、人間の身体は、間違ってしまった後でも、よみがえりをもたらす神に手を引かれるようにして、もう一度「神の栄光を表す」べく再挑戦の機会を与えられている。

2015年7月23日木曜日

黙想:人が惜しむこと、神が惜しむこと

今日は日本聖書協会の「愛読こよみ」から。

今日の聖句 2015年7月23日 生ける神

格別に印象に残ったのは、次の箇所だった。

 主はこう言われた。
 「お前は、自分で労することも育てることもなく、
  一夜にして生じ、一夜にして滅びた
  このとうごまの木さえ惜しんでいる。

  それならば、どうしてわたしが、
  この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。
  そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、
  無数の家畜がいるのだから。」

1.私が物惜しみをすることについて

私が今手にしている多くのものは、労せずに得てきたと思う。もちろん労して得た者も多くあるが、それもまた、多くの人たちの支えなしにはあり得なかった。それは、この聖書箇所の主人公ヨナのとうごま、つまり神が束の間彼に日陰を与えるべく育てた木と、根本的にさほど違わないはずでもある。

もちろん、社会的にはそれらはその人の所有である。奪われてはならない。それは近代自由主義、資本主義の社会の基本でもある。また、一人一人の生活を支える様々の所有物やアクセス権は、その人が生きていく権利を支える土台にもなる。おそらく聖書もそのことを否定しているのではないだろう。ここでも、ヨナがトウゴマを惜しんでいることを否定してはいない。ただ、それはしかし、そのようにして人を支える根源的な人格が存在し、その方が私たちに、それはそもそもでいればあなたのものではないでしょう? 受けたものでしょう? と問うている、ということになる。それは実存の根底を問う哲学的、あるいは宗教的な問いである。

2.神が物惜しみすることについて

そして、聖書はそのすべての根源、源であり、与え手であるところの神ご自身が、一つの10万規模の都市を惜しむと言っているのである。聖書は、ニネベはやがて滅びることを告げている。しかしそれは、邪悪な人々がいる街なのだから滅びて当然、というようなすっきりしたものではない。むしろ、問題だらけの都市(国家)について、その根源的所有者たる神は「右も左もわきまえぬ人間と無数の家畜(広げれば所有物、ということになるだろうか)」とも見る。優先されているのは問題の改善、解決である。

ヨナは自分たちの国の脅威であったニネベを憎んだ。そして自分たちの神であるはずの神が、自分のような、邪悪な街ニネベなど滅んでしまえ、と心の底から思っている愛国者を用いて、邪悪な道から立ち返りなさい、と告げさせ、あまつさえ、それで改悛の情を示したからと言って赦してしまう、ということが、どうにも解せなかった。しかし、神は、自分に免じて、そういう見方をしないようにしてくれ、と言っているようだ。

3.緊張関係にある隣国をどう思うかについての、一つの視点

国際関係には、古代以来現代まで、緊張がつきものであった。そしてそれに対処するに際し、クラシックな言い方でも、力の均衡を重んじる現実主義的な考え方、相互依存関係を促進して軍事よりも通商で関係改善しようとする考え方、世界の競争と貧富差に介入して平等を目指すことで争いを減らそうとする考え方など、いくつかのモデルが出され、取り組まれてきた。それ自体は専門的な議論として、きちんとなされるべきだろう。ただ、一つの国の人間として、緊張関係にある、脅威と考えられることもある隣国について、どう思うかについてのひとつの宗教的な捉え方のヒントはここにあるようにも思った。

私たちは、そういう国々が問答無用の邪悪な存在であるように思えるし、極端な人なら、滅んでしまえばいいのに、とすら思うかもしれない。そしてひるがえって自分たちはなかなかいい国だと思うかもしれない。

しかし、(1) 私たち(の国)が手にしている良いものの多くは、実は根本的には私たち自身が労したのではなく手にしているものが多い。

(2)相手の国もまた、神のものである。そして神から見るときには、その国の人々は経済運営や国の統治について方向性を見失って苦しんでいるのかもしれない。(もちろんひるがえって、自分たちの国もそうかもしれない)

(3)だから、少なくとも、私たちが多文化に対して、あるいは自分たちと異なる隣人たちに対して抱いている違和感や反発はそれとして、それと神の思いは異なる、ということを、神は私たちに理解してほしいのではないか。

曰く嫌韓、嫌中、嫌ロシア…或いは反日など。或いはギリシャみたいな国を突き放したくなる気持ちも。いったん嫌いになってしまったら、たとえ周りがそういうことの愚かさと幼稚さを指摘しても、なかなか変われないのかもしれない。しかし、キリスト者であるならば、少なくとも頭の片隅では、きっと神は私たちとは違うお考えをお持ちなのでは、という考えを大事にすべきだろう、と思う。

2015年7月20日月曜日

黙想:兵士というたとえ

今日はこちらを読んだ。
忠実な兵役(『デイリーブレッド』 2015年7月20日)

忍耐をもって生き抜こう、というメッセージに、基本的に異存はない。ただ、メッセージからすれば本筋からやや外れるかもしれないけれど、キリスト教における「兵士というたとえ」について思いが及んだ。

1.この記事にあるC・S・ルイスの兵役に関する厳しい言葉(ただ、率直な実感であろう)を読む時に、二つの方向に思いが行く。

(a) (1) 一つは、長年特にこの国にいて聞いてきたことで、だから戦争や軍隊は非人間的であり、こういうものは永遠に完全に放棄すべきなのだ、という声である。それは一方では、聖書が提示するビジョン、敵をも愛するという現在生きるビジョンと、やがて剣を鎌に変える、という将来の完全平和の天国的なビジョンを想起させる。そこから見ると、兵士の比喩は、あくまでごく限定的に用いられるべきものとなるだろう。実際、今回の聖書箇所では、

  2:3キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。
  2:4兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。
  ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める。

とあり、比喩の目的が「日常生活のことに煩わされてはいない」「司令官(つまりはここでは司令官が徴募するように一人一人の名を呼んで集めたキリストの比喩と読める)を喜ばせようと努める」の二つに限定されている。
 日本のキリスト者の多くは、例えば欧米のキリスト教がしばしば軍関係者と極めて近しく、しばしば軍隊的な比喩が説教などでも用いられることに、抵抗を感じることは少なくないだろう。ある意味でそれは理由のあることだと思う。「聖書と戦争」はそれ自体大きなテーマで簡単に論じきれないけれども、一つの問題は時にこのテーマが聖書にあるからという理由で乱用されてきた面があるのではないかということだ。もちろん、どこまでが応用でどこからが乱用か、というのは、「「正典」を「解釈」する」ことに主眼のあるキリスト教という宗教の持つ基本的な難問であるとも思う。

 (2) ただ、戦争なんていらないから武器も兵士もいらない、といった声が特段の哲学的な葛藤の中で少数派として、周囲の好機の目にさらされながらあらわれる多くの社会と異なって、日本ではそれは、社民系、リベラル系の場で育てば、まるで常識のように教わり、空気のように身近にあることでもあるだろう。それは戦後日本の護憲派の中で形成された多数派的政治の論理の中にあるように見える。つまり、それは敗戦の中で勝者アメリカが持ち込んだ(押し付けたというのは単純化が過ぎると思うが)枠組に乗った「勝ち組の論理」として始まり、憲法と論壇と学校教育をてこに政治的に「主流」として生き延びてきた論理であって、諸外国における絶対平和主義のような厳しい鍛錬の中でそれでもあえて、というのではないように見える。そこでのキーワードは「みんな」がそう思うはず、そう思わない人は「おかしい」という多数派的な論理である。そしてその場合、こういう比喩は排除すべきものになるだろう。
 確かに民主主義政治には多数派原理があり、政治過程において利害を同調性するか、数をどう合わせるかは重要なことでもある。しかし、前提にあるのはそれぞれがある程度自分の立場、利害、理念について自分(あるいは身近な同志の自分「たち」)で考えて語り、共感或いは反発し、連帯あるいは反目して動く一人一人の「市民」ではないか、というと、あまりに定型的な考えすぎるのかもしれないが、どうも私はそういうことにこだわってしまう。「「私たち」語り」が、そこに取り込まれることになっている人々への同調圧力を利用している、ということに、私は抵抗を感じてきた。それが私の博士論文執筆の原動力でもあったし、今もこのことにこだわり続けてしまう。もし護憲派の運動が、また教会の中で護憲派的な主張を信仰の名でもたらそうとしている人たちが、この点について自覚的でないのであれば、私は声を上げ続けなくては、と思ってしまう。

(b)もう一つは、テキストの中身とのかかわりである。今回の聖書箇所全体が、キリスト教徒に鍛錬の必要を訴えている。問題は、もしかすると日本の戦後の平和主義は、軍事的なものの放棄と共に、重大な目的のためには鍛錬が不可欠であることをも軽んじる文化を形成してきてしまった面があるのではないか、ということだ。
 こう書くと自分の中にもある種の反発の声が響く。曰く、それは右翼の論理だろう。修身や教練の類を美徳としてきた人たちに賛同するのか、と。彼らこそ、日本を無謀な戦いに追いやった張本人ではないか、と。
 或いはそうかもしれない。しかし、そういうふうにいうときに、どうも二元論的な感じになっていないか、と問いたくなってしまう。マッチョな軍国主義でも、ヘタレた平和主義でもない、己と隣人と社会との再生のために鍛錬を積み重ね、行動するような生き方が、本当は求められているのではないか、と考えてしまう。それは自身の問題でもあるし、子育て中の父親としての悩みでもある。

ただ、もう一度聖書の箇所に戻ってみれば、この鍛錬の問題は複数の比喩からなっていることが分かる。一つは競技、もう一つは労働である。私たちはその広がりの中で、鍛錬についてより深く、バランス感覚を持って黙想できるだろうとも思う。

 2:5また、競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ、栄冠は得られない。
 2:6労苦をする農夫が、だれよりも先に、生産物の分配にあずかるべきである。

***

(おまけ) ここまで書いて、そもそも、とも思う。古代の軍隊と近代の軍隊ではそもそも徴募のあり方や組織管理のあり方が随分違う。古代でも団結して自分たちの町を守るような場合と、帝国の傭兵として傭兵隊長に雇われて治安維持や戦争に従事するの(がここの比喩のイメージだろう)とで随分違っただろう。近代国民国家の下での徴兵や志願兵と大きく異なるのは言うまでもない。なので、どの程度引きつけて読めるのかの問題があるだろう。

2015年7月19日日曜日

黙想:こんなふうに確信を持てる日は来るのだろうか…

今朝読んだ聖書の中で、特に日本聖書協会に掲載されたものについて。
2015年7月19日ダニエル書6:16-24

敬虔なダニエルはペルシャ王の覚えめでたい忠実な臣下であったが、周囲の妬みを買った。彼らはダニエルを陥れようと王をおだてて、王以外のものを礼拝しない、さもなくばライオンの穴に投げ込む、という勅令を出させた。それでもいつものように日に3回の祈りを欠かさなかったダニエルはライオンの穴に入れられたが、神によって守られた、という話。

恐らく、ライオンの穴に入れられたのに大丈夫だった、ということが奇跡として語られているようにも読めると思う。ただ、情景を思い浮かべるとき、私なら、もし今の瞬間ライオンが私を食い尽くさなかったとしても、ライオンを目の前にして、これからも大丈夫、と思えないのではないか、と思った。

結末の部分にこうある。

「ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである。」

私は今、ひと月先の旅行の準備をしている。数日前にセブとマニラの旅館の問い合わせをしたが、セブの方は返事が来ず(数日待ってやり直す予定)、マニラの方は初日だけ宿がまだとれていない(その日は別のところに行く予定に変更)。まだひと月あるし、もしかして飛び込みで行ってもたぶん大丈夫だろうに、それでもなんだかとても気になるし、思い出すとそわそわしたりする。地域研究者にして、46歳にもなり、信仰暦も25年を超え、フィリピンにも何度行ったかしれない(セブの旅館の予約は初めてだが)のに、このビビりっぷりは、信仰がどうの以前のことかもしれない(笑)。

そんな自分を振り返って、地位をはく奪され、死の淵に追い込まれた彼が、「神を信頼していた」ということの凄みを感じる。以前この箇所の直前を読んだ時には、祈ったことが露見すれば死ぬ、と勅令が出た日に、いつものように(誰からでも見えるところで)祈った彼の凄さを思ったことがあったが、そこともつながるだろう。

一体このようないわば悟りの境地みたいな確信を持てる日が、こんな肝っ玉の小さい自分にも来るのだろうか、と思ってしまう。ダニエル書を読むと、彼は幼い日に祖国の滅亡によって外国に捕囚されたところから、度重なる試練を超え、その支配者バビロン自体の滅亡と新たな支配者ペルシャの統治、という激動を超えて生かされてきた。彼の人生は、自分も弱いかもしれないが、世の中の方も定めなきものであり、そういう世界の中に確かに人間を峻厳に、かついつくしみ深く支えてくれる偉大な存在を体感してきたという物語である。

だから、私も、ささやかで名もなき歩みではあるけれども、その中で神の方から現れてくださる、と期待して生きていけばいいのかな、と思ったりする。

2015年7月17日金曜日

「人文社会科学批判」と「解釈する学問」の相反する問題

今、テッサ・モーリス・スズキという人の『過去は死なない』という本を読み進めている。

写真に関することで、原爆についての有名な写真を撮った方が、以前に軍の意図に沿う「明るいアジア占領地の子どもたち」の写真を、戦後占領下では、占領政策の意図に沿う「民主的な天皇家」の写真を取ったことを取り上げて、ここに、原爆の普遍的な悪が、大戦の否定的な側面とも、天皇の戦争における役割とも切り離された形で取り扱われてきたこととのかかわりを見る、という部分を読んだばかりだ。

その鮮やかな筆致に、改めて、歴史や社会や文化について、批評的にみること、解釈論としての学問の魅力を思った。優れた解釈論は、意図して課せざるか、隠されて(隠れて)しまっているものを明らかにし、扱われないまま腐りかかっていた問題を表に出す。

それで思い出すのは、数日前に我が家であったことだ。1歳半の娘がバナナで遊んでいて、妻が気づいたときにはどこかに消えてしまっていた。彼女があったはずのバナナを全部食べたということは、これまでの彼女の食べる量からは考えにくい。そこでしなければならないことは明らかで、バナナの切れ端がどこかから出てくるまで探すことだ。そうしないとどうなるか。やがて腐る。あるいは虫がつく。あるいはもしかして、外から蟻が入ってきて、蟻の道が家にできてしまうかもしれない。

この件は次の日に妻が部屋を掃除している間にバナナが出てきて解決したけれども、実は歴史の中には(否、私たち一人一人の人生にも)、そうやって置きっぱなしになったまま腐って虫がつきかねないような過去の未解決の問題がごろごろしているのではないか、ということだ。

***

最近文部科学省が、国立大学の人文科学系の学部について非常に否定的な方針を出し、指示を出したことはよく知られていると思う。今回のことで、なぜそうなったかの一端に触れたように思った。それは、人文社会科学の多くは、現状知られ、報じられている事柄の、クリティカルな解釈論だからだ、ということだ。

ただ、それは恐らく三つの意味を持つだろうと思う。

(1)先ずは人文社会科学を広く大学生に学ばせることに否定的な人たちの考えに寄り添ってみることにすると、それらの解釈論は、しばしば実に「どうでもいいこと」をこねくり回すことに終わっている、ということだろう。粗雑に「役に立たない」と言われれば、それに対して反発したくなるのは分かるが、そういう意見が出てしまうことに全く正当な根拠がないとまで言えるか、自省したい。実際の学問の場における解釈論は、しばしば流行している新しい解釈方法を既存の研究対象に、なぜそういうことをすべきかを吟味しないまま、研究者自身が「研究成果」を増やす手っ取り早い方法として、導入される。また、ある種の研究者は、自分の議論に対する反論を回避するために、わざとわかりにくく書いて、いかにも深遠な問題に取り組んでいるかのようなそぶりを見せようとする(はいはい、私、昔そういうことをちょっとしてしまった過去があります…反省です)。こういうものにうんざりさせられた人たちが、大学の文系学部なんて、小難しい言葉をこねくり回して無駄なおしゃべりをたくさん生産している知性のゴミ工場であって、そんなことをしている人間が屁理屈をこねて教養が必要だの何だのと言いつのりながら、要は自分たちの牙城を、しかも国民の血税を部分的には使ってやり続けて、それで胸を張るなんて、チャンチャラおかしい。ただの既得権益の巣窟ではないか、というのも、一理いあるのかな、と自省するのです。

(2)テッサ・モーリス・スズキさんの議論と絡めていうならば、もうひとつ問題のあるあり方がある。それは、特定の政治主張が至上命題になっていて、それを支える議論ばかりを集めていく(したがって、都合の悪い事例は極力避ける)、というような類の解釈論も横行しているということで、それは彼女の言う「歴史への真摯さ」という姿勢と対立する恣意性である。特にこういう政策的方向を持ち込んだ政府から言わせれば、結局なにがなんでも反政権の思想と運動が、特に大学内に協力に残存していて、言を弄して学問の名で反政権の運動を展開し、学生たちに吹聴している、それは不公平かつ有害ではないか、ということになるだろう。私は半分だけこれに賛成したい。半分というのは、主張そのものとしては正しいと思うからだ。私にとって学問とは、たとえ中立性や公平性、客観性というものそのものに原理的な限界があるにしても、スズキの述べる「歴史への真摯さ」つまり歴史の真実への探求を、自分の立論に都合が悪いような事例も視野から外さずに進めようとする努力の中でこそ、進められるべきものと考えるからだ。そういう点から見たときに、残念ながら、大学の言論の中には「正義」の名のもとに安易な決めつけに走ることで「良心的知識人」たらんとする変な自負があちこちにみられすぎるように思える。それはあまりよいことに思えない。

ただ、新政権の運動も同様にキャンパス内には強力に存在している。また、では政策としてどうするのがいいのか、というと、その牙城をつぶせばいい、というのは無茶であろう。次に述べる、人文科学の解釈論の訓練(という教養教育)がもたらす社会貢献をも一緒に壊しかねないからだ。そもそも運動を強く志向するイデオロギーの強い研究者がいてもいいのではないか。それもまた、大学が多様な教員を受け入れることを確保し、その中にそういうタイプの人たちもいる、というふうにするよう留意していれば、学内における諸論の存在の中で、大学にいる人たちはそれぞれ批判的な吟味を積み重ねる機会が得られるはずだから。それこそ、民主主義、問題への参加姿勢の涵養、ある方法がうまく行かなかったときに代替案を考えるためのヒントが蓄積されていくことになる。そういうものを蓄えておく場所は、今のように先が見えない、変化の速い、問題が複合化している時代において、不可欠なソーシャルキャピタル(このことば、まだ使い慣れない…)なのではないか。

(3)そして、既にふれた問題を解剖し、隠されたまま腐敗に向かっている事柄を解剖によって明らかにするような役割が、解釈論にはある。たとえ人文社会科学における解釈論が、自然科学のそれのように実証の確認が明確でも、応用のプロセスも明確でもないとしても、それは現在の高度な相互作用の拡大の中にある社会の中で活路を開くヒントを探す際に、そして問題に行き詰った時に活路を探るのに、不可欠なものではないか。

***

この件について、研究ブログの方がいいのかどうか迷った。ただ、黙想ブログに書くことにしたのは、やはりキリスト教徒それにかかわる学問が、実は高度に解釈にかかわるものであった、ということを想起するからである。そして、キリスト教学や神学の解釈的な側面に関する問題も豊かさも、上記で触れたのと同様の側面があるように思ったのだ。

つまり、(1)残念ながら少なからざるキリスト教研究は、先端の議論をフォローすることで自分の実績を作り、実際には意義を吟味しないまま研究者の成功に貢献するものになっていることが少なくないのではないか、にもかかわらず、学問の名において安易な自己正当化を行っていないか、という問いにつながる。(2)現代は普通の人々が高度に政治に巻き込まれている時代であると思うが、その中で、特定の政治的立場の擁護のために、あまりにしばしばキリスト教の言葉が乱費されてきたのではないか、という問いにもつながる。但し(3)もし神学的な解釈論が、現実の社会的、個人的、霊的な問題の中に隠されてしまっている諸事情を明るみに出すことにつながれば、それは個人、教会、コミュニティ、社会、政府、世界の直面する難問に向き合って行くことに貢献する、ということになるだろう。だから、神学や神学校についても、これまでそんなものなくてもいいのでは、といった批判に何度もさらされてきたにもかかわらず、教会のために、そして公共世界のためにも恐らく、不可欠なものなのだろうと思う。

そして、この(3)に向かうことこそ、実はすべての真相を知っている存在と、その方のまなざしを信じる者たちの霊性としてとても重要なのではないか。だから、ここに書くことにしたのである。

2015年7月16日木曜日

相手を悪魔とせずに政治に関わる

これから変なことを書くかもしれないけれど、実験として。

キリスト教は悪魔の存在を信じてきた。それは、確かに人間が神に反逆し己の利のために他人を傷つけてやまない、悪魔的な性質を帯びてしまいやすとしても、人間が悪魔なのではなくて、悪魔は別にいる(つまり悪の原因は人格的な何らかのダイナミクスであり、それは人間と同一視はされない)ということだと思う。

だから私は、どんなに特定の立場に反対する場合でも、相手を悪魔のように言うのは間違っていると思う。相手もまた、どれほどの邪悪さがあっても人間であるし、こちらもどれほどの正しさを抱えもっていても、人間に過ぎず、相手を悪魔と断じられる者ではない。

特にキリスト者は聖書で神が語る場面になじんで、「可能な限りでの」「許されている範囲内での」神の代弁者、という範囲を超えて、あたかも神を演じるような振る舞いになりかねないから、注意が必要に思える。

確かにキリスト教においては相手が超人的な権威を主張し、崇拝を要求したり、特定の民族の撲滅を目指したりするときには、それを「信仰告白の事態」として徹底して抵抗する必要のある場面もあるだろう。しかし、そういう時以外は、あくまで市民としての政治が前にある。それは市民的な対話、対論を前提とする。そして仮に相手が対話・対論をあざ笑うからといっても、こちらまでそのまねをする必要はない。

政治の論議はどうしても熱くなりやすい。とくに権力を背後に持った相手であれば、恐ろしく凶悪に見える(そして場合によっては実際にある種の凶悪さを帯びている)こともある。しかし、もし本当に自由と民主主義を大事にしたいというのだったら、自分がたとえ相手にレッテルを張られたとしても、相手に過剰なまでに張返したり、とにかく目的のためには手段を選ばない方向に向かおうとしたりするのはよろしくない、と改めて思う。

ただ、悪魔(あるいは悪の源泉となる有機的な働き)がいると信じるなら、いないところを叩こうとするのではなく、いるところを定めて戦うべきなのだろう。そのためにも、人間を悪魔と間違えて戦うのは賢明ではない。

2015年7月15日水曜日

「デイリーブレッド」で黙想:いろいろもやもや…(Meditating with "Our Daily Bread" - Not fully understood...)

Today I meditated with this.
今日の黙想はこちら。
Transformed Hearts
変えられた心

The scripture is:
Ezekiel 36:22-31
聖書箇所はこちら。
エゼキエル書36:22-31

My thought hovers around the repentance and salvation and renewal.  What is this unfinished process?  The meditation text didn't give me a satisfactory answer, though its description of the basic structure of things seems OK.
私の考えは、悔い改め、救い、刷新の間をぐるぐるめぐっている。この終わることのないプロセスは一体何なのだろう? このテキストに書いてあることでその答えは見えてこない。ただ、事柄の基本的な構造の描写はちゃんとできてはいると思うのだけれど。

The problem?  You know, the Israelites here were already chosen people, and it means that they were to be renewed and sanctified and differentiated from other people.  And look, here we find Israelites judged just like other people and then given promise for renewal - again.  So what would this promise mean, if the previous one was fruitless because of the sin of Israelites?
何が問題か、というと、今回のテキストで、イスラエル人たちというのは、既に神に選ばれた人たちであって、それはつまるところ、既に刷新され、清められ、他の民とは異なるものとされることになっていたはずだ、ということだ。それがどうだろう、ここでは罪を犯して裁かれることにおいてほかの民と何ら異なるところなく、再度刷新の約束が与えられている。もしイスラエルが罪を犯したから先の約束が結実しなかった、というのなら、今回の約束は何だということになるのか?

Of course the main point is that all through this process, there is still the Sovereign God who wills the renewal of this land through the chosen people, and they are to begin again and again after failures, with the new beginning and a new heart as gift from God himself.  So it is not the great people that matters, but the great God working with terribly mediocre and so-so people that matters.
もちろんこの箇所の眼目は、これらのプロセス全体を通してもなお、主権的な神がおられて、この方はこの世界の刷新を、ご自身が選んだ人々を通してもたらそうと考えている、ということだ。そして他ならぬ神ご自身が新たなスタートと新たな心をお与えになることをで、彼らは何度も失敗しても、何度でもやり直す、ということだろう。だから、大事なのは偉大なる人々がなにかを成し遂げるということではなく、ゲンナリするほど平凡な連中と共に偉大な神が働いているということがミソなのだろう。

Then, the promise of renewal?  Is this temporary?  Will people go back simply to the past darkness after this, again and again, just as the history of the Church has shown?  Or will there be any alternative way that will lead to the flourishing of justice all over the world?
では、刷新の約束はどうだろう。これは束の間起こるだけで、そのあとにまた以前の闇へと戻っていくだけなのか。教会史が示してきたとおり、そういうことが何度もあるだけなのか。それとも、それに代わる道があって、世界中に公義が満ち溢れるところに向かっていけるのか。

***

By the way, as I listen to both Japanese and English version, what is curious is the differences of expressions or styles of casual devotion between these two.  If you listen both of them, even if the contents of the texts are virtually the same, the tone of the voice, music used are in a sense very contrasting.  In English version, the music is rock with electric guitar and begin with robotized male voice, while Japanese version is with much lighter music with piano and strings and the narrator is a lady.  Both sounds natural to me - meaning that may represent how I understand Japanese and Americans pray.  We cannot go without culture yet it would be good to be somewhat conscious of that and to avoid making specific type a must.  We would be more fruitful if we are open to different types of cultural expressions of devotional spirit.
ところで、日本語版と英語版の両方を聞いていて興味深いのは、カジュアルな黙想に関する表現方法の違いである。聞いてみると、テキストの中身はほとんど同じだが、声のトーンや音楽がある意味とても対照的だと思う。英語の方はエレキのロックで始まり、最初にロボット風の音声で始まる。日本語の方はピアノとストリングの軽やかな音楽で、ナレーターは女性である。どちらも自然に聞こえてしまうのは、私が日本人やアメリカ人がどう祈るのかについて持っている理解がそういう感じだからだろう。私たちは文化なしでは済まないが、そのことを自覚して、特定のやり方でなければいけないとすることを避けるようにすべきだろう。黙想的な霊性の文化的表現についてはさまざまのタイプのものに開かれている方が実り多いと思う。

2015年7月14日火曜日

黙想:「私の平安」から始まる首尾一貫性の罠

今日もこちらを黙想した。

デイリーブレッド:私たちのような人

春ごろに立て続けに宣教者の伝記を読んだ。今回の黙想に引かれているウィリアム・ケアリの伝記も読んだ。興味深いのは、19世紀初頭において、「神の主権」の強調故に、積極的な宣教活動を異端視する考え方が強かったことだった。そして、19世紀前半の宣教者はしばしばこのことについて考え、反論する必要があった。今回のこのテキストにも、ケアリのインド伝道に反対した人たちのよく知られたことば(神がインドを救いたいのならば、神は、君や私の助けがなくてもそうされる)が見られる。

今となってはとても奇妙な感じもする。特に今日の黙想テキストに出てくるマタイ9章38節(だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい)のように、働き手を送り出す必要は聖書を読めば明確すぎるほどなのだから、なおさらである。4世紀以降のヨーロッパのキリスト教会の中で、ローマ世界という「世界」がキリスト教のもとに下った以上、宣教の時代はもう終わった、という考え方が強まったことの影を見ることもできるのかもしれない。しかし15世紀以降、カトリック教会は熱心に世界中に出て行って、やり方の是非はあれ宣教活動を展開したのだから、プロテスタントがこれに呼応する流れにならなかったのはなぜなのか、気になる。

一度は改革派系の二重予定論(救われる者、滅びる者はあらかじめ定まっている、という考え)に染まったこともある私は、これがそれなりに理由があることではないか、という感覚も持っている。それに、もしこのことが重要でないなら、なぜわざわざ今こういう一般向けの黙想サイトでこういう記事が取り上げられるだろうか。

***

私がよく思うことは、聖書の世界は逆説性に満ちているということだ。その根底には、神についての神々しい描写と、対して人間世界の複雑かつ苦悩と暴虐があちこちに現れる困難な有様であり、その二者が同居する世界という理解がある。理屈でいえば無理だが、しかしもしこれが何らかの形で可能でなければ、人間には救い、希望、回復(贖い)が見えなくなってしまう、というのが聖書の世界なのだと思う。完全中身が主権者である世界、かつ人間の罪があふれたまま葛藤する世界、という、両立不可能なはずのものが並行的に、しかも没交渉ではない、激しく切り結ぶようなものとして描かれている。だから、首尾一貫した形ではなく、あくまである種の逆説性をはらんだ形でしか、私たちの理性によっては受け止めきれない面があるのだろうと思う。

しかし、プロテスタントの歴史、特に組織神学は、首尾一貫性に固執してきたのではないか。二重予定論はそもそも、罪深い私を救う圧倒的な神の恵みの強い認識の強調がその眼目であり、いわばミクロの理論である。問題はそのミクロの視点についての予定論的記述を、演繹的にマクロレベル(つまりは世界の救済に関する事柄全般)に直線的に適用してしまったこと、そしてそこから生じる聖書のさまざまなテキストとの間の矛盾をねじ伏せてしまったことにあるのではないか。

この強力に演繹的な体系化は、良くも悪くも近代の精神、科学主義の精神に通じるものであるだろう。そしてそれは、現代の大衆消費社会における孤立し疎外され原子化された個人が、世界を理解し(たつもりになり)、平安を得るのにも都合がいい。かくして個人の平安につながる物事の理解を起点に演繹し、事実関係をその枠組みの中にねじ伏せたような思想が流行する。特定の祈りを祈れば祝福されるとか、特定の教派だけが救いをもたらすとか、一つの書物の方法論を絶対視するとか、果ては歴史上自分の国を絶対化し、悪いことはみんな誰かの陰謀とするようなものまで、自分の安寧や喜びを起点にしてのみ世界を見る方法は、合理化の度合いが高ければ高いほど狂気となる。

解毒剤となるのは、具体的な経験、具体的なテキストによる、演繹的合理化というあり方自体の悲喜劇の暴露であろう。自分たちと異なる議論に耳を傾けたり、まだ見たことのなかったものをいろいろ見たり体験したり、あるいは異なる文化、習慣の世界に行って住んでみたりすること。もちろんそこにも欠けの多い人間の現実がある。しかしこちらが100点でも、あちらが0点でもない。

成熟とは、天におわします神が絶対であるならば、私たちの物事の理解は、あくまで、聖書の言葉を用いれば「(古代の金属を磨いただけでぼんやりとしか見えないような)鏡に映ったぼんやりした姿を見る」くらいなものなのだろう、ということだろう。

だから、強い確信を持ったら、もしかして一度その核心を言葉にして、最後に「なんちゃって~」とつけてみるのが、いい鍛錬になるのかもしれない。

2015年7月13日月曜日

今朝の黙想:主は近い、と信じ切れないが…

今朝はこちらを読んだ。というか音声があるので、聞きながら読んだ。

「さようなら」は言わない

このテキストで思ったこと。

私にとって、信仰の「確信」というのが、いつも弱いところだと思う。神が守ってくださる、導いてくださる、正してくださる、とか、どういう人とどうであってどういう感じになっていても、この出会いは益とされる、とか、信じようと思うたびに、もしそうでなかったら、という思いがよぎることが多い。なので、結末は分かっている、と口では断言するのだろうが、ひょっとして、死んだ後なんちゃってがあるのでは(あるいは死んだ後など何もなく死んで終わってしまうのでは)、という思いは消えたことがない。

もし疑わないようになればずっと楽なのかもしれない。でも、こればかりは自分の心の問題だし、そもそも目に見えぬ神が、私たちが死んだ後に私たちをどうされるのか、など確かめようもない。聖書にある約束、聖書を大事にすると決めた教会が語り続けてきた約束を信じることにするくらいしかない。私が思春期に苦しんだのは、心身の弱さの中で、いずれ滅びていく自分がどのように希望を持ち、平安を回復するか、だったと思う。たしかに大学1年生の時に、イエスを主と信じるようになってから、人生がそもそも根っこから定まらないような、暗くよどんだある種の根本的な不安を感じることはなくなった。けれども、基本的に経験したことのないしんどいことを初めて経験する場合に期待よりは不安が大きい自分は、腹をくくり切れていない人間だと思う。こういうのを不信仰というのかもしれない。

しかし、今日の箇所、ピリピ4:1-9を読むと、将来を心配せずに神を信じ、人を愛する明るい生き方を進める光景は、一人の心の中の状態の問題としてよりも、共に生きる仲間たちの中でのこととして描かれている。そこには多くのそれぞれ生きながら、しかし実のところともに、共通の生を生き、共通の目標を持つ人たちが描かれている。

パウロは手紙の送り先にいる人たちとすでに親しい関係を築いており、彼らへの思いやりを繰り返し言い表す。そして、彼が勧める生き方は、こんな感じ。

・主にあって堅く立ちなさい。
・主にあって一つ思いになってほしい。
・このふたりの女を助けてあげなさい。彼らは、「いのちの書」に名を書きとめられているクレメンスや、その他の同労者たちと協力して、福音のためにわたしと共に戦ってくれた女たちである。
・あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。
・何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。

そして最後に、
・あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば、平和の神が、あなたがたと共にいますであろう。

仲間たちがいて、向上を目指す。また師匠がいて、その模範から学ぶ。

そしてそれらの言葉の真ん中にこの言葉がある。
・主は近い。

神の名のもとに、イエスの名のもとに、真摯に生きようと生き生きと務め、お互いに助け合う営みの真ん中に、本当は目に見えないはずの主なるイエスが近く見える。25年以上の教会生活を振り返ると、それは決していつもキラキラしたものではなくて、しばしばイライラさせられるような、時には残念ながらうまくいい関係を築けずに、この箇所のユウオデヤとスントケのように争ってしまう。砂をかむような思いでいることも少なくない。ぎくしゃくしたこともたくさんある。うんざりするほど平凡な、誤りと偏見が交錯する普通の人間たち(自分も)の集まり、という側面を、教会は持ってきた。だから、宗教熱心な人たちの中には、こんなものやってらんない、自分だけ、自分たちだけ、そういう特別に霊的な人間だけで集まって頑張る、というふうになることもよくある。もちろんそういうふうにしていろいろなことが改革されることもあるけれども、やがてそうやって出てきた運動も、同じような問題に直面する。

しかし、もしこの人間の世界に救いが、また救いをもたらすものが来ているのだとしたら、たぶんそんなふうな場所のただなかに見いだせない限り、現実味がない。忍耐強く、そう信じることに決めてしまえるかどうかなのかな、と思う。

2015年7月9日木曜日

最近の黙想:サイトを活用して

ご無沙汰しております。あまりのご無沙汰ぶりに閉鎖しようかとも考えたのですが、もう少し気軽に、タイトル通り、黙想に絡めてちょこちょこ書くことにすればいいや、と思うに至りました。

しばらくは通読を軸にした聖書の黙想をしていましたが、特定の習慣を過剰に構造化したくない、といういかにもプロテスタント的?改革派的?な欲求が頭をもたげ、しばらく離脱しています。

とは言っても別段何かアイデアがあるわけでもないし、聖書を黙想することが私の心の習慣であり続けることは変わらないので、他力本願で、この三つに触れるようになりました。

1.フィリピンではすでにおなじみのDaily Breadのサイトが日本語でもオープンしており、音声まではいるようになりました。家事でばたばたしやすい私たち夫婦には合っています。

デイリーブレッド

しかも英語版もあるので、英語で聞きなおせば英語に慣れることにもなります。
Our Daily Bread

2.日本聖書協会のホームページは週ごとのテーマに沿って聖書箇所を載せています。それも朝、あるいは時間が取れた時に静まって目を通すようにしています。
日本聖書協会


3.茨木聖書教会のぼちぼちなデボーション「オメル」も、こんないい加減な私にピッタリ。数日忘れても、すぐに追いつけます! ってどんだけテキトーなんでしょう(感涙)
オメル


4.日曜日にはLectio Divinaを読んでいます。Revised Common Lectionaryという世界中で多くの教会が使っている聖書箇所からの黙想テキストです。先週の日曜日は学会で教会に行けませんでしたが、そんな時朝ホテルで黙想するのに役立ちました。
レクティオ・ディヴィナ

2014年8月1日金曜日

いち研究者としての振り返り

久々のこちらのブログ更新。大阪大学外国語学部での3年目の1学期の終わりに、ちょっとした自己点検をFacebookで試みてみた。それを少し手を加えてここに載せたい。これは、一見単純に一研究者としての振り返りのようでもあるけれど、多分少し深い所では、一キリスト者(特に、唯一の創造者のもとに生きるという意識を持った人間)としての雑感という面が見え隠れしているかもしれない、と思う。

1 今の政治社会を問う専門・教育背景と、由来を問うことで解明しようとする自分の志向

「教養学部」という曖昧模糊とした学部を卒業し、「総合文化研究科」というわけのわからない名前の大学院に入った私。"late specialization"なる掛け声の中、「問題を見つけたらそこで専門性を都度的に作ればよろしい」という手法を愛しつつ、しかし同時に翻弄されてきた。そんな学問的放浪者であると感じる。ただ、その放浪には多分内的な理由があった。私はこの世界を生きる根源的なエネルギーのようなもののありかを探求したかったのだと思う。

そして学んでいくうちに、問題の一つが「事象に対する名づけの問題」であって、それはどんな学問にもその「定義」の中に出てくる問いであった。それはいわば旧約聖書の創世記第2章の人祖譚(神が初めにちり(アダマ)に息吹(霊)を吹き込むことで創造した人間(アダム)は、彼が置かれた「園」という「世界」の万象に名をつけたとある)にでてくるような古典的な問題でもあったが、私にとっては、「国際関係論専攻」という社会科学の分野からスタートしたものの、結局「由来の解明」という方法にこそ力があると見たことで、歴史的な方法に魅了されていった、という経緯でもある、と振り返る。

そんな自分は、前職の東京基督教大学では、宗教社会学的な方向性を持った博士論文を抱えつつ、神学部の中で社会科学分野を幅広く教える立場となり、行き詰る中で突破口を与えてくれたのは、ポスト構造主義の影響を受けた社会史的な研究群、特にイレート『キリスト受難詩と革命』の翻訳の仕事だった。だから、仕事ではずっと政治や国家や国際関係を論じながら、しかし自分の研究に命を与えてくれたのは、社会史的な研究であり、その土台にあったのはポストコロニアル研究やポスト構造主義哲学だったりした。

2 これからの20年を思いつつ、向きを変えてみる

そんなわけで「昔取った杵柄」ですぐに教壇で教えやすいのはフィリピンの政治だったり宗教だったりするのだが、私が捉えようともがいてきたのは、それを支えてきたと思われる歴史的な産みの苦しみ、そこにある愛憎や信不信、暮らしの息吹の積み重ねのようなものでもあった。また教員として期待されているのがビビッドな世界や地域の「今」であり、それは現在の阪大外国語学部ではなおさらそうであることを痛感しつつ、また、それにそれなりに応えるルーティーンを持って入ると自負しつつ、専門家としての自分が追求しようとし、長期的にはきっと学部においても大学院においても自分のオリジナリティを生かして貢献できそうなのは、やはり歴史なのではないか、と思うようになってきている。

他方で、歴史学というものが、どれほどの莫大な資料や過去の成果に基づく学問であるかも、この歳になればよく分かるし、若いほど無茶をする勇気もない。でも、それでももしあと20年頑張れるのかな、と思えるとすれば、あたかも青年のように青臭く、これと思った方にかじを切ろうと思って、今学期は宗教社会学、教会史、社会史、ナショナリズム論に力点を置いてあれこれもがいてみた。これがうまくいろいろと結びつき、いずれできればフィリピン語の授業にすらプラスのフィードバックが出るようなところまでいければ、と願いつつ、当面こんな感じで行こうかと思っている。

3 補足 「宗教」と「由来を見つめること」

加えて、「植民地支配以前に国がなく、外来の宗教や政治社会制度を用いて国づくりが進められてきたフィリピンという国」における「ナショナリズム」とはどう考えたら理解しやすいのかの解明を目指した私が、何故気付けば「カトリック教会の政治関与」という宗教社会学的なテーマに至ったのかとも問うてみる。それは恐らく、宗教に向かって掘り下げることで宗教的な由来が見え、またそこを透かして見れば、歴史の逆説みたいなものも見えてくるのでは、という直感(仮説?)を無意識に抱いていたからかもしれない、と今になって振り返る。

そう書いてみて思い起こすのは、フィリピン北部のイフガオに行った時のこと。土着の霊媒師とされるムンバキと呼ばれる人について、キリスト教宣教と文化の関係について詳しい知人が「この人たちこそ、多くの人々の苦境を聞き、それに応える経験の積み重ねを通じて、この地域の中の無数の思いを聞きためてきた要となる人であって、キリスト教の宣教をするに際し、異なる霊的な背景があるからと言って全否定するような態度を慎み、むしろこの人が持っている語りが基本的に生きるように接すべきだ」というようなことを言っていた。宗教には実に多様な側面があるが、そのうちの一つは、地域の御用聞き、よろず悩み相談であったと思う。もちろん近代化に伴う世俗化(つまり個々の近代的な専門領域の伝統的権威からの分離のプロセス)によって宗教の果たす役割は限定されてきているとはいえ、今もどうしようもなく人間の根底に存在する不可思議さや神秘をめぐって、宗教はなお人々の語りを聞き、答えようとする営みの積み重ねを宿していると思う。宗教学、宗教社会学、宗教史、キリスト教史、教会史などは、そういう意味で、否応なく「由来」に結びつくのだろうと改めて考える。

2012年3月10日土曜日

卒業生への個人的な祝辞

東京基督教大学、東京基督神学校の卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。一言思うところを述べます。
 
 式のメッセージでは、卒業後皆さんが遣わされる先は荒野だ、と語られました。そうかもしれません。とはいえ、人の住まぬ荒野の中には、写真に残るべき美しい風景もあるでしょうし、一輪の花の美しさを愛で、人との出会いを喜べるのも、荒野でしょう。
 
 もし社会的な「荒野」を生み出すものが人間の罪深さないしは「業(ごう)」であるとしたら、それは人々が社会的な生活の営みをしているところ、どこにでも見出せるものでしょう。たとえ大学や教会が世間から青年たちをしばしかくまうための避難所の役割を果たしている面があったとしても、またキリスト教徒には神の聖霊がついているのだ、ということであるとしても、この全寮制キリスト教大学の生活空間の中にも、あちこちに荒野の影が見え、ところどころにそれは広がっているはずです。足元の荒野が見える人こそが、派遣された場所のどこが荒廃しているのかを見抜くことができるのではないか。それこそが罪という問題を実体的にとらえるキリスト教の学舎における学び(寮教育)の要の一つではないか、と思います。
 
 さらに、世間には悪魔の業だけではなくて、世界を統べ治めたもうはずの神の恩恵が厳然としてあり、それは人を分け隔てせずに、しかしある種の不思議さ、神秘性をもって存在しているはずです。そこにある闇を恐れる(恐れさせる)ことよりも、そこにある恩恵を見出しに踏み出し、踏み込んでいくことにこそ、信仰(神に信頼して生きていく)ということの本領もあるのではないでしょうか。
 
 だから、キリスト教は安全、大学は安全で、これから出ていく世間にはオオカミが待っている、という風に捉えるよりも、何をどう見抜いていけるか、そして恐れずに踏み出していけるか、そこではないかと思います。だから、私は皆さんを励ましたい。恐れずに、前に進んでいくのだ、と。そこが荒野かどうか、今から心配しなくてよい。あまり覚悟を決め過ぎなくてもよい。足元をしっかり見てこそ、前が見えてくるのではないかと思います。
 
 皆さんの前途に祝福を祈りつつ。