2014年8月1日金曜日

いち研究者としての振り返り

久々のこちらのブログ更新。大阪大学外国語学部での3年目の1学期の終わりに、ちょっとした自己点検をFacebookで試みてみた。それを少し手を加えてここに載せたい。これは、一見単純に一研究者としての振り返りのようでもあるけれど、多分少し深い所では、一キリスト者(特に、唯一の創造者のもとに生きるという意識を持った人間)としての雑感という面が見え隠れしているかもしれない、と思う。

1 今の政治社会を問う専門・教育背景と、由来を問うことで解明しようとする自分の志向

「教養学部」という曖昧模糊とした学部を卒業し、「総合文化研究科」というわけのわからない名前の大学院に入った私。"late specialization"なる掛け声の中、「問題を見つけたらそこで専門性を都度的に作ればよろしい」という手法を愛しつつ、しかし同時に翻弄されてきた。そんな学問的放浪者であると感じる。ただ、その放浪には多分内的な理由があった。私はこの世界を生きる根源的なエネルギーのようなもののありかを探求したかったのだと思う。

そして学んでいくうちに、問題の一つが「事象に対する名づけの問題」であって、それはどんな学問にもその「定義」の中に出てくる問いであった。それはいわば旧約聖書の創世記第2章の人祖譚(神が初めにちり(アダマ)に息吹(霊)を吹き込むことで創造した人間(アダム)は、彼が置かれた「園」という「世界」の万象に名をつけたとある)にでてくるような古典的な問題でもあったが、私にとっては、「国際関係論専攻」という社会科学の分野からスタートしたものの、結局「由来の解明」という方法にこそ力があると見たことで、歴史的な方法に魅了されていった、という経緯でもある、と振り返る。

そんな自分は、前職の東京基督教大学では、宗教社会学的な方向性を持った博士論文を抱えつつ、神学部の中で社会科学分野を幅広く教える立場となり、行き詰る中で突破口を与えてくれたのは、ポスト構造主義の影響を受けた社会史的な研究群、特にイレート『キリスト受難詩と革命』の翻訳の仕事だった。だから、仕事ではずっと政治や国家や国際関係を論じながら、しかし自分の研究に命を与えてくれたのは、社会史的な研究であり、その土台にあったのはポストコロニアル研究やポスト構造主義哲学だったりした。

2 これからの20年を思いつつ、向きを変えてみる

そんなわけで「昔取った杵柄」ですぐに教壇で教えやすいのはフィリピンの政治だったり宗教だったりするのだが、私が捉えようともがいてきたのは、それを支えてきたと思われる歴史的な産みの苦しみ、そこにある愛憎や信不信、暮らしの息吹の積み重ねのようなものでもあった。また教員として期待されているのがビビッドな世界や地域の「今」であり、それは現在の阪大外国語学部ではなおさらそうであることを痛感しつつ、また、それにそれなりに応えるルーティーンを持って入ると自負しつつ、専門家としての自分が追求しようとし、長期的にはきっと学部においても大学院においても自分のオリジナリティを生かして貢献できそうなのは、やはり歴史なのではないか、と思うようになってきている。

他方で、歴史学というものが、どれほどの莫大な資料や過去の成果に基づく学問であるかも、この歳になればよく分かるし、若いほど無茶をする勇気もない。でも、それでももしあと20年頑張れるのかな、と思えるとすれば、あたかも青年のように青臭く、これと思った方にかじを切ろうと思って、今学期は宗教社会学、教会史、社会史、ナショナリズム論に力点を置いてあれこれもがいてみた。これがうまくいろいろと結びつき、いずれできればフィリピン語の授業にすらプラスのフィードバックが出るようなところまでいければ、と願いつつ、当面こんな感じで行こうかと思っている。

3 補足 「宗教」と「由来を見つめること」

加えて、「植民地支配以前に国がなく、外来の宗教や政治社会制度を用いて国づくりが進められてきたフィリピンという国」における「ナショナリズム」とはどう考えたら理解しやすいのかの解明を目指した私が、何故気付けば「カトリック教会の政治関与」という宗教社会学的なテーマに至ったのかとも問うてみる。それは恐らく、宗教に向かって掘り下げることで宗教的な由来が見え、またそこを透かして見れば、歴史の逆説みたいなものも見えてくるのでは、という直感(仮説?)を無意識に抱いていたからかもしれない、と今になって振り返る。

そう書いてみて思い起こすのは、フィリピン北部のイフガオに行った時のこと。土着の霊媒師とされるムンバキと呼ばれる人について、キリスト教宣教と文化の関係について詳しい知人が「この人たちこそ、多くの人々の苦境を聞き、それに応える経験の積み重ねを通じて、この地域の中の無数の思いを聞きためてきた要となる人であって、キリスト教の宣教をするに際し、異なる霊的な背景があるからと言って全否定するような態度を慎み、むしろこの人が持っている語りが基本的に生きるように接すべきだ」というようなことを言っていた。宗教には実に多様な側面があるが、そのうちの一つは、地域の御用聞き、よろず悩み相談であったと思う。もちろん近代化に伴う世俗化(つまり個々の近代的な専門領域の伝統的権威からの分離のプロセス)によって宗教の果たす役割は限定されてきているとはいえ、今もどうしようもなく人間の根底に存在する不可思議さや神秘をめぐって、宗教はなお人々の語りを聞き、答えようとする営みの積み重ねを宿していると思う。宗教学、宗教社会学、宗教史、キリスト教史、教会史などは、そういう意味で、否応なく「由来」に結びつくのだろうと改めて考える。