2012年3月10日土曜日

卒業生への個人的な祝辞

東京基督教大学、東京基督神学校の卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。一言思うところを述べます。
 
 式のメッセージでは、卒業後皆さんが遣わされる先は荒野だ、と語られました。そうかもしれません。とはいえ、人の住まぬ荒野の中には、写真に残るべき美しい風景もあるでしょうし、一輪の花の美しさを愛で、人との出会いを喜べるのも、荒野でしょう。
 
 もし社会的な「荒野」を生み出すものが人間の罪深さないしは「業(ごう)」であるとしたら、それは人々が社会的な生活の営みをしているところ、どこにでも見出せるものでしょう。たとえ大学や教会が世間から青年たちをしばしかくまうための避難所の役割を果たしている面があったとしても、またキリスト教徒には神の聖霊がついているのだ、ということであるとしても、この全寮制キリスト教大学の生活空間の中にも、あちこちに荒野の影が見え、ところどころにそれは広がっているはずです。足元の荒野が見える人こそが、派遣された場所のどこが荒廃しているのかを見抜くことができるのではないか。それこそが罪という問題を実体的にとらえるキリスト教の学舎における学び(寮教育)の要の一つではないか、と思います。
 
 さらに、世間には悪魔の業だけではなくて、世界を統べ治めたもうはずの神の恩恵が厳然としてあり、それは人を分け隔てせずに、しかしある種の不思議さ、神秘性をもって存在しているはずです。そこにある闇を恐れる(恐れさせる)ことよりも、そこにある恩恵を見出しに踏み出し、踏み込んでいくことにこそ、信仰(神に信頼して生きていく)ということの本領もあるのではないでしょうか。
 
 だから、キリスト教は安全、大学は安全で、これから出ていく世間にはオオカミが待っている、という風に捉えるよりも、何をどう見抜いていけるか、そして恐れずに踏み出していけるか、そこではないかと思います。だから、私は皆さんを励ましたい。恐れずに、前に進んでいくのだ、と。そこが荒野かどうか、今から心配しなくてよい。あまり覚悟を決め過ぎなくてもよい。足元をしっかり見てこそ、前が見えてくるのではないかと思います。
 
 皆さんの前途に祝福を祈りつつ。

転任の報告

本日無事東京基督教大学の卒業式が執り行われ、私の人事についても正式な発表がありましたので、ここでもご報告いたします。
 私は大阪大学世界言語研究センターへの転任が内定しており、4月より大阪大学大学院言語文化研究科言語社会専攻の講師となります。
 東京基督教大学には引き続き非常勤の立場で関わります。東京基督教大学は11年にわたり自分なりに力を注いで労してきた、また学務全般にわたり多くを学んできた職場であり、特別の感慨があります。